根治は難しいと宣告された肝細胞癌

介護士になったきっかけ【第三話】をここに綴ります
少し重い話ですので、あえてコミカルなイラスト「なのなのな」さんの作品を使わせていただいております。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
あこがれだった仲居の仕事をあきらめる

社長に必死の思いを伝えてみましたが、手術に付き添うための長期休暇はもらえませんでした。
今回で長期休暇申請は2回目。
旅館側としては当然の答えでした。

社長:
あかねさんの気持ちはよく分かりますよ。
でもねぇ、今は繁忙期だし人手も足りないです。
わかるでしょう?
しかも彼は家族ではない!
今回は申し訳ないですが長期休暇は認められませんよ。
ある程度、理解は示してくれたものの、認められなかった一番の理由は、家族ではないから許可できない事でした。

やっぱり駄目だった・・・
すでに、勤め先の旅館に未練はありませんでしたが、私を推薦してくれたお姉さんにだけは、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
それでも「彼に付き添いたい」という気持ちの方が勝り、退職を申し出ました。

もう、仕事なんてどうでもいい。
今はあの人の力になりたいだけ。
年を取ってからの、恋は盲目以上!
周りがまったく見えていませんでした。
退職前も、病院への付き添いのため欠勤する事も多く、給料をきっちりもらえた月は、幾度もなく、生活は厳しいものでした。
少しばかりの貯金も、いつの間にか底をつき自分の生活もままならない。
満足に、食事も摂れない。
退職するにあたり、借りていた寮も出なければならず、期限はたったの2週間。
新しい勤め先、引っ越し先も探さなくてはならないばかりか、引っ越しするにあたり当然、費用も掛かります。
その間の収入は0ですから、にっちもさっちもいかない状態。
「お金が足りない・・・」
かつて債務整理をしており、借金の怖さは十分承知していました。
この時の私は完全にイカレていました。
「二度と借金はしない!」と誓ったはずなのに・・・
債務整理後、数年間は借り入れができない事は承知していました。
「一か八か、とにかくお金が欲しい。」
ある金融会社に問い合わせてみたところ、すんなり50万の借り入れができました。
「当面の生活費と、引っ越し費用はできた。」
私はまた50万の借金を負い、安堵感と同時に昔の借金生活を思い出していました。
故郷の両親の顔が浮かび、悲しい気持ちで心はいっぱいでした。
はじめてのウソ
静岡がんセンターです。

手術当日の事。
彼:
仕事はいいのか?よく休めたね。
私:
普段のおこないがいいからよ(笑)
社長のお母さんも癌だったみたいでね・・・癌に理解があったの!
だから私の仕事のことは心配しないで。
彼は、手術前も冗談ばかり。
看護師さんたちをからかいVサインで手術に臨みました。

私:
いってらっしゃい。
ここで待ってるから~。
仕事を辞めたなんて言えない・・・
言ったらあの人の事だもの、怒るに決まってる。
付き添いだって断るはずだもの・・・

私ははじめて彼に嘘をつきました。
彼の癌との付き合いは既に4年・・・
平気な顔しておどけて見せる彼。
ホントにあまのじゃくなんだから。
辛いとか
きついとか・・・
弱音を吐いてくれた方が、どんなにか気が楽だったでしょうに。

今回の手術も半年前とおなじ(ラジオ波焼灼熱療法)。
肝内の3㎝、3個の癌を凝固壊死させる手術です。
癌との戦いは、まるでいたちごっこ。
やっつけても
やっつけても
また再発してしまう。
Drからは
「根治は難しいでしょうね」と言われていました。

つとめて明るく振舞う彼を、見れば見るほど私の心は沈んで行きました。
手術を終えた1週間後の朝。
「今朝は、熱が下がっています。退院できますよ!」と許可が下り、踊る気持ちを抑えながら急いで病院に迎えに行きました。

彼:
もう二度とこんなとこに来やしねえ。
明るく笑い飛ばし、無事に退院しました。
良かれと思った行動が!
迎えにきた私の車に乗り込み、開口一番!
彼:
コンビニに寄ってくれ。

ビールを飲みたいんだ・・・
止めたって聞くような人じゃあないし。
ふぅ。
彼は退院直後に、多量のビールを買い込みました。
大好きなビールを手にした彼ですが、何だか顔つきが冴えません。
私:
どうしたの?大丈夫?
やっとお家に帰れるね。
「うん」と言ったきり浮かない顔です。
車窓の遠くに目をやったまま、彼はずっと無言でした。
かける言葉も見つからないまま、車を走らせました。
彼はマンションに着くなり、さっそくビールとタバコです。
お気に入りのパジャマに着替え

器用に
ふーーーっとひとふかし。
ポン・ポンと
指先で頬をたたきました。
煙で輪っかを作りながら
彼:
なんか俺
前と違うな・・・
今度は本当に
ダメかもしれないな
・・・
こっちへおいで
少しやせたカラダで
抱きしめてくれました。
私:
ねぇ
カラダが熱いよ!
熱があるんじゃない?
38.1℃に上がっています。
退院時に処方されていた
頓服を飲み様子をみました。
少し呼吸も荒く
苦しそうです。
きっと強引に退院したんだわ
私:
ねぇ
救急車呼ぼう
なんかあったら
大変じゃない!

彼:
いいから!
大丈夫だよ!!
・・・
大丈夫だから
ソファにもたれ、
しばらくの間
静かに目を
瞑っていました。
彼:
お前はもう帰りな
仕事
たくさん休ませて
ごめんな・・・
俺は大丈夫だから
私:
こんなカラダで
一人にしておけないよ
私、仕事辞めたの
だからもうしばらく
一緒にいる
彼:
おまえ仕事辞めたのか?
何で言わなかった?
俺に黙って・・・
今の彼に、私を叱る元気はありません。
翌日の朝まで
彼はずっと
眠ったままでした。
ようやく熱も下がった
3日目の朝
彼:
お前も仕事見つけなきゃね
私を心配してくれる
彼の気持ちは
じゅうぶん分かりました。
一人になりたいんだよね・・・
けれども
もうしばらくは
自宅療養が必要です。
仕事復帰は
まだまだ先の事。
本当は、復帰できる見込みなんてない。
冷蔵庫の中に
入るだけの
食料を詰めこみ
後ろ髪を引かれる思いで
私は自宅に帰りました。
すれ違う日々・・・会いたくて会いたくて
私自身も
社宅を引き払う期限も
あと数日。
新しい職場を
早急に探さなくては
なりません。

検索キーワードは?
- 派遣会社
- 住み込み
- 50歳以上
- 医療関係
万が一
彼に何かあった時のため
病院の仕事が
役に立つのではないか?
派遣会社なら
融通が利くかもしれない
浅はかな、考えですが
この条件に一番近い仕事場を
見つけました。
土肥から伊豆の国市へ
住まいを移し、
順天堂大学付属静岡病院での
看護助手の仕事を見つけました。

地元では滅多のみることのない
ドクターヘリが
一日に何回も、飛んできていました。
伊豆半島は、病院も少なく
私の住んでいた街とは
大きく違い、
ドクターヘリが
まるで救急車のように
飛び回っていました。

新しい社宅は
病院まで徒歩5分。
キッチンの窓から
富士山がよく見えました。
富士山が見えた日は
得した気分です。

今日も無事に過ごせますようにと
富士山に向かって祈る日々。

傘雲の出た翌日は
決まって雨でした。

バタバタと
慌ただしい日々が続き
デートはもっぱら電話です。

お互いに一杯飲みながらの
リモート飲み会?です。
そんな日が1ヵ月ほど続き、
私は病院勤務で彼は板前。
お互いの休みを
合わせることが
次第に難しくなりました。
第3話をお読みいただきありがとうございます。よろしかったらまた遊びに来てくださいね。お待ちしています。
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