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実録【借金返済への道】②たった2万円の借入から借金生活が始まりました

黒歴史

借金生活の始まりは35年前~幼子の手を引いて~

結婚して5年ほど経った頃です。

幼子二人の手を引いて

初めて消費者金融会社を訪ねました。

借りたお金は2万円

主人には話せませんでした。

生活が苦しかった事もありますが

子供にオシャレな服を着せたい!

ただの私の自己満足からでした。

当時、仲良くなったママ友達と

公園やお互いの家に集まり

子供たちを遊ばせていました。

オシャレに着飾った

よその子供たちを見るたび

うらやましく嫉妬心を感じました。

洋服は沢山持っていましたが、

どの服も出産祝いでもらった

趣味の合わない服ばかり。

当時、出産祝いをお金でいただく事は少なく

物で祝ってくれる習慣が根付いていました

せっかくのお心遣いに対し

「こんなダサい服をもらってもなぁ・・・」

と、内心は嬉しくなかった。

感謝するどころか

恩知らずのひどい人間でした。

独身時代、

ファッションで自己表現していた私にとって

子供にもオシャレな服を着せたい気持ちが

人一倍強かったと思います。

今思えば、これも私の見栄だったと

気付きました。

転職を繰り返す夫、当てにしていたお金が入らない

当時の主人は、転職を繰り返してばかり。

何をしても長続きしません。

長くて3ヵ月、

短い時は3日で会社を辞めていました。

辞める時は、いつも事後報告です。

当然、収入は安定せず

カツカツの暮らしでした。

何か意見をすれば

「働くのは俺なんだからな。

お前は俺がイヤがるところへいかせたいのか!」

決まってこう返事が返ってきました。

タバコは吸いますが

お酒やギャンブルはしない。

余分に小遣いが欲しいとも言わない。

世間的には真面目で

ごく普通の旦那に見えていたと思います。

常に車のローンは2台分

彼の唯一の趣味は車。

車さえ触っていればご機嫌で

一日中磨いていました。

手先が器用だったため

オーディオの配線・フィルム貼り

オイル交換まで自分でやっていました。

ピカピカの車内で

車の雑誌を何冊も読み漁る休日。

車に関する雑学や知識が豊富で

ディーラーの営業マンも舌を巻くほどでした。

「そんなに車が好きなんだから整備士になれば?」

と話したこともありますが

趣味を仕事にするのは嫌だったようです。

車が汚れる事を極端に嫌います。

土足厳禁は当たり前で

車内での飲み食いも一切禁止。

乗せてもらっていても

常に緊張しリラックスできない。

1台は通勤用。

もう1台はプライベート用。

収入に見合わず2台持ちです。

私に何の相談もなく

勝手にローンを組んで購入。

口が達者で、私が反論しても

いつの間にか言いくるめられてしまう。

しつこく言えば逆切れ。

言い返すことも怖くなり

車に関しては何も言えなくなりました。

毎月のローンが家計にのしかかり

とても主人の給料だけでは

賄えるはずがありません。

嫁入りの際に持参した

わずかな貯金も

直ぐに底をつきました。

OL時代のわずかな退職金も

赤字を埋めるために無くなりました。

私も直ぐに働きたかったのですが

当時は保育所の空きがなく

順番を待たなければなりません。

自営や職業を持つ人たちが

入園条件の最優先で

当時、職をもっていなかったため

入園は直ぐには叶いませんでした。

夢に描いた結婚生活とは程遠い暮らし

主人のとった行動は

休日にアルバイトをする事でした。

「俺の小遣いは、バイトで稼ぐからいらない。

生活費の中からローンを払ってくれ。」

それからの週末は、

2人の子供と私の3人で

過ごさなければならなくなりました。

女・子供だけでは

行動半径も狭くなります。

近場の公園や、ショッピングモールで

休日を過ごしました。

よそのパパたちが

子供と遊んでる姿を見るたび

悲しくなりました。

「こんなはずじゃあなかった・・・」

それでも

主人への愛情は薄れていません。

一緒に過ごせない事が

寂しくてたまりませんでした。

仕事を始めることはできたものの働けない

時給1,000円・1日4時間。

当時にしては時給単価も良く

無理なく働けそうな

ウエイトレスの仕事を見つけました!

子供を保育所に預ける条件が整い

入園が決まりました。

保育所に預け始めて1週間の間

私とバイバイする際

泣き叫んでいました。

後ろ髪を引かれる思いで

働き始めました。

「これで少しは生活も楽になる」

しかし、そんなに甘くはありませんでした。

保育所は子供たちにとって

初めての集団生活です。

おたふく風邪、水疱瘡

手足口病など・・・

当時の流行病の全てをもらってしまい

満足に働くことができません。

熱発すれば保育所に預ける事は無理でした。

何故かわからないのですが

一人が治ったと思えば

もう一人が病気になるといった具合で

時期が微妙にずれるかたちで

病気をもらってきました。

「二人同時に病気に罹れば

欠勤日数は少なくて済むのに・・・」

欠勤が多く

バイト代も大した金額にはなりません。

2人分の保育料と私のバイト代の金額は

ほとんど変わらない。

「なんのために働いているんだろう・・・」

「バイトしたって少しも楽にはならない」

無理やり子供たちを保育所に預けた事が

次第に、無意味なように思えてきました。

働いているのに借金は増えていく

次第に子供たちは、集団生活にも慣れ

病気も少なくなってきました。

保育料を払えるだけの金額と

家計の赤字を埋める分のバイト代は

確保できるようになり

気持ちに余裕が生まれてきました。

職場で友達ができると

お付き合いも増えていきます。

ランチや飲み会など

出かける機会も増えました。

気持ちは充実していきましたが

ただでお付き合いは出来ません。

また夜の街に繰り出す時は

オシャレもしたくなります。

ここでまた私は見栄を張ってしまったんです。

今までの黒歴史を振り返りながら人生100年時代を過ごすにはどうすれば改善できるのだろう。自分を客観的に見るために黒歴史を綴ろうと決めました。過去の金銭感覚を見つめ直すことは、これからの自分を変える第一歩になる、今からでも遅くない!そう信じ、頑張りたいと思っています。

ご訪問いただきありがとうございます

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