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実録【借金返済への道】④想定外の二重生活で借入を繰り返す

黒歴史

山奥の暮らしから、念願だった団地へ引っ越しました。

新しい暮らしは快適そのものでした。

けれども楽しい日々はそう長くは続かず

益々家計を圧迫していきました。

山奥の暮らしから、町の団地への引っ越し

主人の実家は

山奥の田舎にありました。

四季折々の緑が美しく、近くに滝も見えます。

目を瞑ると川のせせらぎや鳥の鳴き声が聞こえ

まるで温泉宿のような雰囲気でした。

河原にはトンビが飛び交い

初めて間近でみたトンビの大きさは

小さな驚きでした。

夕刻に狐の親子が散歩している姿を見た時は

おとぎ話の世界に迷い込んだ気分でした。

都会の喧騒を忘れ

息抜きに訪れる場所としては

ふさわしいのですが

暮らしていくには、かなり不便な地域です。

買い物をするには、山道を下り

車を20分走らせなければなりません。

私が嫁いだ夜、

父は布団の上で正坐し

オイオイと声をあげて泣いていた

後に、母から聞きました。

三人姉妹の長女で、家を継ぐはずだった私が

親の反対を押し切り

しかも辺鄙な山奥に嫁いでしまった・・・

反対されれば、私は家出をする覚悟でした。

いくら反対したって

結局は娘が家を出る事に変わりはありません。

父にしてみれば

寂しさや悔しい気持ちで

いっぱいだったと思います。

この時の私は、結婚したい一心で

親の気持ちなどあまり考えていません。

主人と結婚したことに後悔はありませんでした。

この山奥での同居暮らしは

5年間で終わることになりました。

・子供の通う保育園までは往復1時間

・私の職場までは往復1時間半

不便さを理由に、夫や義理の両親を説得し

私の我を通してしまったのです。

正直、同居生活は窮屈でした。

決して悪い両親ではなかったけれど

何かとやりにくい面も多く

ストレスを感じていました。

念願だった親子4人水入らずの

団地生活が始まりましたが

50万の借金は抱えたままです。

同居していたからこそ

返済も滞りなく出来ていましたが

別居をきっかけに

さらに自分が追い込まれる状況に

なっていきました。

夫の単身赴任で二重生活

引っ越した団地での生活は

快適そのものです。

・保育園までは徒歩2分

・私の職場まで車で15分

通勤途中には

ショッピングモールもあり

買い物のストレスもありません。

子供たちも団地暮らしが

気に入っていた様子で、

山の生活とは違い

ベランダから1歩出れば中庭です。

彩とりどりの遊具に囲まれ

毎日伸び伸びと遊べます。

キッチンの窓から外に目をやると

子供たちの笑顔を見る事ができました。

何かあれば、

周りのママ友が知らせてくれ

子育てしやすい環境に恵まれました。

あの頃の暮らしは

私の人生の中では、特に思い出深く

楽しくて充実した日々でした。

あの日に帰る事ができたら

人生のやり直しがしたいです。

楽しいはずの団地暮らしは

そう長くは続きませんでした。

主人が単身で

遠くの県外に行くことになったのです。

家族共々の引っ越しは叶いません。

ここから夫婦の別居親子の離れ暮らし

二重生活が始まりました。

本心がわからない・・・

主人の単身赴任の話は想定外の出来事、

寝耳に水です。

結婚後、何度も転職を

繰り返していた主人でしたが

この時ばかりは

この会社で頑張りたいから行かせてくれ

と熱望しました。

私の気持ちは反対でしたが

どうせ、何を言っても思い通りにしてしまうのだから・・・

答えは、分かり切っていたので

強く反対はしませんでした。

単身住まいの家賃や光熱費は会社負担。

食費は自腹です。

ところが、いざお給料を見ると

最初に主人から聞いていた条件とは相違があり、

戸惑いを隠せませんでした。

会社側が主人をだましたのか?

主人が単身赴任したいがために、私にウソをついたのか?

本当の事は、今だにわかりません。

どちらかと言えば

主人はお人好しな性格です。

私を騙すような人ではないと

信じていました。

そんな主人の性格を逆手に

会社に都合の良い様に

言いくるめられたと思いました。

二重生活は

想像よりもはるかに出費が多く、

それぞれの生活はきつくなるばかりです。

月に2回、帰省するための旅費が

会社側から現金で支給されていましたが

主人はその旅費を

自分の生活費に充てたい

と言う理由で

団地に帰ってくる事が少なくなりました。

念願叶った、親子水入らずの生活は

ほんの短い間で終わってしまった。

主人の本当の気持ちは

団地暮らしなんて

夢でもなんでもなかったんだ

と・・・

この時、気づきました。

次第に、私や子供たちにとって

主人が居ない生活が普通になり

それどころか楽に感じる様になっていました。

愛情が無くなったわけではないけれど

いてもいなくてもいいような感覚でした。

久しぶりに主人が帰ってくると

子供たちは緊張します。

子供の面倒をみるのが苦手で

自分の子供たちなのに

扱いが分からないのです。

夫婦の関係は、たまに会う方が新鮮です。

ぽっちゃりからスリムに変身した私をみて

相当な驚き様でした。

「綺麗になったね」とも言ってくれました。

こんな生活が3年ほど続きました。

3年の間にさらに借金がふくれあがる

少ないお金でも

賢く家計を守っていたならば・・・

今更悔やんでも、後の祭りです。

今度は足りない生活費をうめるために

消費者金融で借りながら

食いつないでいきました。

35年前の正確な金利は覚えていませんが

18%は越えていたと思います。

デパートで浪費した

50万のリボ払いは丸々残っていました。

身の丈に合った生活ができず・・・

本当は、生活費が足りないのではなく

収支バランスが考えられない

とんでもない身勝手な人間です。

生活費や支払いを済ませてから

娯楽に回せばよいものを

私の場合は娯楽が優先です。

生活が苦しくなっても

子供たちを両親に預け、

相変わらず、飲み会にも参加していました。

新しい服も未だに買うという

身のほど知らずの浪費生活。

金銭感覚は完全に麻痺しており

借金が当たり前になっていました。

生活の異変に

いち早く気づいたのは

主人ではなく、私の両親でした。

親に誤魔化しはきかないものですね。

離れて暮らしていても

娘の行動や言動がおかしい事に

気づいていました。

父:「どうかしたのか?なにかあったのか?」

母:「正直に話してちょうだい。」

両親からの問いかけに

押さえていた感情が一気にあふれ

私は泣きながら、

苦しい生活の胸の内を話しました。

少し興奮気味の母の横で

父はこう話してくれました。

「いいな!今度の事は○○君には内緒にするんだよ。

俺が全部片づけてやるから安心しなさい。

でもこれっきりだぞ。

二度とこんな事はするんじゃあない。」

消費者金融で借りた借金を

完済してくれたのです。

本当に気持ちが楽になり

苦しみから解放されました。

けれどもデパートで浪費した

50万のリボ払いの事は

話せませんでした。

「これだけは、キチンと自分の力で解決しなければ!」

その思いだけは、確かで本気でした。

今までの黒歴史を振り返りながら人生100年時代を過ごすにはどうすれば改善できるのだろう。自分を客観的に見るために黒歴史を綴ろうと決めました。過去の金銭感覚を見つめ直すことは、これからの自分を変える第一歩になる、今からでも遅くない!そう信じ、頑張りたいと思っています。

ご訪問いただきありがとうございます

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