人には百八つの煩悩がある
紅白歌合戦を観た後
ゆく年くる年の番組から聞こえた
「除夜の鐘」の独特の音色が、
心に染みわたりました。
例年ならば、職場で大晦日を迎えていました。
特別手当も出ますしね。
全てはお金のためでした。
今年は、高齢の母と暮らし始め
初めての大晦日です。
人には百八つの煩悩があると
言われていますが、
その煩悩を祓うために
108回、鐘をつくとされています。
私自身も煩悩だらけ・・・
心が汚れていると
つくづく実感しています。
欲や見栄のかたまりです。
そのせいで
借金も重ねてしまった過去があります。
何年ぶり!?リアルタイムで観た紅白歌合戦
紅白歌合戦をリアルタイムで観たのは
何年ぶりかな。
母は「今年は2人で観れるから嬉しい。」と
喜んでいました。
紅白歌合戦も、時代と共にさま変わりです。
様々なジャンルの楽曲が
披露されるようになりました。
藤井風さんの演出やメッセージも
素敵でしたが、
やはりイルカや南こうせつが
心に染みます。
西田敏行さんを想う
みなさんの歌声も、
心に響きました。
米津玄師さん、
以前よりも印象が柔らかくなったかな。
こんなに笑顔の素敵な人だったんだね。
何より一番嬉しかったのは
高橋真梨子さんの出演でした。
随分痩せられて
身体もあまり動いていません。
月日の流れを感じましたが、
歌声はやはり素晴らしいです。
ヘンリーさんの大きな愛に包まれて
お幸せそう。
うらやましいなぁ・・・
おひとり様の私には
手に入れることのできない愛です。
「除夜の鐘」の意味
「除」には「古いものを捨て去る」という意味で、
「夜」は「大晦日の夜」を指すんだとか。
「除夜の鐘」は、
1年間の煩悩を払い、
清らかな心で新年を迎えるための儀式。
煩悩には、
・必要以上に物事を欲しがる心
・怒りや憎しみの心
・愚かなことを言う心
などがありますが、
私は煩悩だらけだなって、
つくづく思います。
除夜の鐘を打つ現代の意味
除夜の鐘は、仏教の教えに基づいた
年越し文化として発展してきたそうですが、
現代は、煩悩を払う
宗教的な意味だけでなく、
一年の反省と
来年への希望を込める機会として、
親しまれているそうです。
除夜の鐘は鳴らせなかったけれど
日付が変わるころ
母と共に、父の眠るお寺に行ってみました。
除夜の鐘に願いを込めようと
出向いたのですが、
辺りは真っ暗で・・・
山門付近で、二家族と出会い
お話を聞いてみると
「コロナ以降、除夜の鐘がつけなくなったみたいね。
今年はどうかなと思って、来てみたんだけどね。」
残念ながら除夜の鐘を鳴らすことは
できませんでした。
実は、私と母の間には
「親子の確執」があります。
あくまでも母は、
私を「よい子に育てよう」と
思う気持ちで動いていたため、
罪悪感がありません。
高齢になり、当時の事も
あまり覚えていないようです。
母にしてみれば、
良かれと思ってした行為が、
私には「苦痛」として伝わり
「母を受け入れられない」
「母へのイライラ」に
つながって行きました。
未だにその気持ちは消えていません。
気持ちを切り替え、
母と心穏やかに過ごしたいと願う反面、
母にわざと、素っ気ない態度を
とってしまう事があります。
そんな時の自分が、嫌で仕方なく
自己嫌悪に陥ります。
母の顔を見るのが辛い時もあり
ろくに話もしないまま
自室に逃げ込んでしまう日もあるのです。
「このままではダメだ!」
母との遠い昔の出来事は、
もうとっくに忘れてもいいはずなのに・・・
なんて心の狭い人間なんだろうか。
この気持ちを克服したい!
そう願い、真っ暗な山門をくぐりました。
このお寺の山門は「開運門」と言われ
「不思議と良いことが起こる」と
言われています。
残念ながら
除夜の鐘は鳴らせませんでしたが、
新年の一番初めに足を運び
ありがたい山門をくぐりました。
父のお墓のある方向に
手を合わせ
母との暮らしの平穏を祈りました。
そのおかげなのか
気持ちがほんの少し安らぎ
楽になった気がしました。
私自身が、「変わりたい」と願い
意識改革をする努力をする。
自分を変えようと決めました。
母のせいにすることで、
自分の責任から逃れていたのかもしれません。
うまくいかないのは
「自分も母に甘えている」
側面があるんだと思います。
母の感情に流されず、
自分の気持ちや思考を理解して
「変えていこう」とする
心を育てていきたい。
こうしてブログに綴る事で
少しづづ気持ちの整理が
できているのかもしれません。
コメント