PR

パチンコ店に転職した主人、私の戸惑いと小さな安心…しかしまたもや引っ越し

輸入住宅 ばぁばちゃんの人生アルバム

「引っ越し第6号」から次の転機が訪れました。

前回のお話はこちらからどうぞ👇

予想もしなかったパチンコ店への就職で、

主人はまるで別人のように明るくなっていきました。

制服を着て、シャキッと働く姿に、

驚きよりも少しだけホッとしたのを覚えています。

「やっと、どこかに居場所を見つけたのかもしれない」
そんなふうに思ったのです。

いきなり店長に抜擢

パチンコ店、店内の様子。スロット・パチンコ

主人は、パチンコ店の仕事に没頭していきました。

新台の入れ替え、釘の調整、接客など、
新しいことを覚えるのが楽しくて仕方がない様子でした。

その姿が社長の目にも留まり、
入社して半年ほどで、店長に抜擢されました。

休日は、店休日の月曜日のみ。

その貴重な休みも、名古屋まで新台を探しに出かけていました。

お客様が楽しめて、なおかつ利益が出やすい台を求めて、休日返上です。

お給料も以前より高くなり、生活は安定しました。

ノスタルジックな公園のブランコ

けれど週末は、相変わらず私と子どもとの三人暮らし。

よその家庭が親子で楽しそうに出かける姿が、

羨ましくてたまりませんでした。

主人がいなければ、遠出もできません。

「これじゃあ、単身赴任のときと何も変わらない」

そんなふうに感じて、一緒に暮らす意味が分からなくなっていきました。

社長への信頼、そして仕事一色の生活

主人は、こうと決めたら一直線。

お人好しな性格もあって、社長を信頼しきっていました。

社長の期待に応えようと、仕事にますます邁進していきました。

その頑張りのおかげか、店の売り上げもぐんぐん伸びていったようです。

主人はすっかり気を良くし、家庭のことも顧みず、仕事一色の毎日でした。

カナディアン住宅への引っ越し

引っ越しの段ボールが山積み

そんな時、主人の口から、隣町の一軒家に引っ越す話が出ました。

「社長がカナディアン住宅に住まないかって誘ってくれたんだ」

その家は、社長が息子のために建てたもの。

詳しい理由は分かりませんが、当時は空き家になっていたんです。

「給料を20万円アップするから、住んでほしいって言われたよ」

そんなうまい話、正直なところ少し不安でした。

ところが主人は、

「お前がイヤでも、俺は一人でも行くよ」と…

すでに社長と話を進めてしまっていたのです。

私は、もう二度と別居生活はしたくないという思いから、
主人について行くしかありませんでした。

ここで、「引っ越し第7号」です。

はじめての輸入住宅暮らし

煙突のある輸入住宅

こうして私たちは、隣町のカナディアン住宅に引っ越しました。

初めての輸入住宅。

広いキッチン、大きな二重窓、おしゃれな木目の床…
すべてが新鮮で、ちょっとした金持ち気分になっていました。

お隣さんは設計事務所の社長さん。
裏のお宅は、ベルギー帰りのエンジニア一家。

田舎育ちの主人と、普通のサラリーマン家庭育ちの私は、すっかり有頂天。

「20万円も給料アップしたし、ちょっと小金持ちだよね」
なんて浮かれていました。

暮らしぶりだけが突然ランクアップしたようで、

心の中の不安にはフタをしていました。

今になって思えば、社長の思惑もあったのでしょうが、
当時の私たちは、それに気づかず、ただ舞い上がっていたのです。

その家が、私たち家族の転落の入り口になるとは、

夢にも思っていませんでした。

現実は、静かに姿を現した

涼し気なバスケットに入ったアメリカンブルー

実際は、給料は20万円アップしたものの、
その分、家賃として給料から差し引かれていました。

つまり、実質的な収入アップはゼロ

それでも「輸入住宅にタダで住める」と思い、
ラッキーくらいに受け止めることにしました。

主人は、「この家に住み続ければ、いずれ俺たちのものになる。社長がそう約束してくれた」と疑いませんでした。

社長にしてみれば、誰かが住めば風も通り、
家が傷まないという思惑があったのかもしれません。

もしかすると、家という“餌”で、

主人を縛りつけようという気持ちもあったのではないかと、

後になって思うようになりました。

“生活の温度”がない家

広い輸入住宅のキッチンと観葉植物

引っ越し当初のワクワクは、次第に現実に飲み込まれていきました。

広いキッチンも、外国風の窓も、可愛らしい木の床も──
どれもこれもが、だんだん「落ち着かない」と感じるようになっていったのです。

なぜなら、そこに私たちの“生活の温度”がなかったからです。

家はある。家具もある。
でも、家族の会話がない。

主人は帰ってきても、仕事の話ばかりで、
家族のことにはあまり関心を持ちませんでした。

裏のお宅とのお茶会と、深まる孤独

スコーンと紅茶で、お茶会

「ご近所づきあいは大切に」──

そう自分に言い聞かせながら、裏の奥さんのお茶会にも顔を出していました。

でも、ベルギー帰りの奥さんの自慢話に付き合うのは、正直しんどい。

無理を重ねるほど、自分の中の空白が広がっていくのが分かりました。

夫婦という名の空洞

夫は相変わらず無関心。
私がどんなに疲れていても、寂しくても、気づこうとはしません。

夫婦生活もなくなり、ただ同じ屋根の下にいる「共同生活者」のようでした。

このまま一生を終えるなんて、私には無理──そう思い始めていたある日のことです。

拳と涙と、息子の叫び

窓辺に飾られた鉢植えの花々

久しぶりに家族で食卓を囲んだ夜。
私はつい、義母への不満をこぼしてしまいました。

その瞬間、夫の顔が変わり、胸ぐらをつかまれ、拳が振り上げられたのです。

けれどその拳は、息子の「お母さんをいじめないで!」という叫びで止まりました。

子どもに教えられた、覚悟

小さな体で私たちの間に立ちはだかった息子。
その姿に、私は思わず子供たちを抱きしめながら言ってしまったんです。

「お母さん、もうお父さんとは一緒に暮らせない……どっちと一緒にいたい?」

泣きながら「お母さん」と答えた2人。

8歳の長男は言いました。
「お母さん、ちゃんと話して。俺だって、わかるよ」

その夜、三人で泣きながら、これからのことを話しました。

そして翌日から、子どもたちはもう泣かなくなったのです。

覚悟を決めた表情で、私のそばに立ってくれていました。

今日の縁側便り

縁側でお茶を淹れてお待ちしています。

あれから、ずいぶんと時間が流れました。

子どもたちはそれぞれの道を歩き、私は静かな夜に、こうしてお茶を淹れています。

縁側で飲むお茶が「美味しいなぁ」と思えるようになるまでに、
何度、泣いたかわかりません。

しんどい日もありましたが、
こうして今、ほっとできる時間があることが、
何よりありがたいなぁと思うのです。

今日も、感謝の気持ちを、湯のみ一杯ぶんだけ。
心をゆっくり、あたためながら。

【次回予告】別れを決意した私の心のうちと、
子どもたちと選んだ新しい暮らしについて、綴ってみたいと思います。

「ばぁばちゃんの台所カフェ」にお立ち寄りくださってありがとうございます。

このブログが、あなたにとっても心の温まる居場所になれば嬉しいです。

また縁側でお待ちしていますね。

おかえりなさい。

「ばぁばちゃんの台所カフェ」は千聖の隠れ家メルマガとの出会いから始まりました。よかったらのぞいてみてくださいね。

タイトルとURLをコピーしました