彼との別れ──叶わなかった願い
私の大切な人、彼との別れについて、少しお話しさせてくださいね。
彼が肝細胞がんを再発したとき、私の願いは届きませんでした。
「自分のせいであなたに迷惑をかけた」
「約束していた旅行の夢も叶えられない」
「俺といてもろくなことがない」
そう言って、彼は私の元を去っていきました。
でも、私にとって、病気を含めて、彼の優しいところも、破天荒な性格も、その全部が大好きだったんです。
ただ、ほんの少しでも、彼のそばで支えになりたかっただけなのに……。
そんな願いも虚しく、私たちは別れることになってしまいました。
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伊豆から藤枝へ──新しい仕事への一歩

彼との別れをきっかけに、私は住み慣れた伊豆を離れることにしました。
周りのみんなは、きっと私が故郷の浜松に帰ると思っていたようです。
でも、どうしてもその気になれなかったんです。
3年前に、大好きだった父と大げんかをして、母ともなんだかぎくしゃくしていた時期でしたから、誰も私のことを知らない伊豆へと移り住んだのです。
伊豆での暮らしは決して楽ではありませんでしたが、彼との思い出がたくさん詰まった場所で、本当は離れたくありませんでした。
でも、予期せぬ別れが辛すぎて、いつまでも伊豆にいることができなくなってしまったのです。
そんなとき、ふと目に留まったのが求人広告でした。
「社員寮完備、初任者研修修了者、年齢制限なし」
当時59歳だった私は、「これが最後のチャンスかもしれない」と、思い切って応募してみました。
場所は、伊豆よりも浜松に近い藤枝市でした。
資格は持っていましたが、介護の現場は未経験。
それでも、看護助手としての経験が採用の決め手となり、晴れて介護士としての一歩を踏み出すことになったのです。
介護の現場で出会った心の支え
初めての介護施設は、見るもの聞くもの、何もかもが初めてのことばかりでした。
親子ほども年が離れた上司に注意されたり、若い職員の心無い言葉に傷ついたり……。
「私には無理だよ。介護の仕事、向いてないのかしら」
そんなネガティブな気持ちで過ごしていたとき、ひとりの方と出会いました。

ALSという難病を患う、高山さん(当時70歳)。
大変な病気を抱えていらっしゃるのに、いつも笑顔を絶やさない方でした。
体の大きな男性職員ですら、高山さんの移乗介助に苦労するくらいでしたから、体が小さく力のない私は、食事や排泄のお手伝い、体の向きを変えることなど、すべてが大きな負担でした。
中でも移乗介助は、私にとって一番の課題だったんです。
何度も試行錯誤を繰り返すばかりで、なかなかうまくできず、高山さんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そんなある日、私が困っていると、高山さんが優しく声をかけてくれたんです。
「大丈夫だよ!焦らないで、一緒にゆっくりやろう」
どちらが介助者なのか分からなくなって、その温かい言葉に思わず涙が出そうになりました。
私が「力のいらない介護技術」についてYouTubeで見た話をすると、高山さんは「その方法、僕の体で練習してみなさい。いつでも実験台になってあげるから」と笑って言ってくださいました。
今思うと、利用者さんの体を練習台にさせていただくなんて、本当に恐ろしいことをしたものです。
それでも高山さんは、私の至らない点も、いつもにこにこ笑いながら付き合ってくださいました。
「介護は技術だけじゃなく、心で人と向き合うこと」
これは高山さんが教えてくれた、一番大切なこと。
病気と闘いながらも前向きに生きる姿、そして人を思いやる心。
高山さんは、私にとってかけがえのない存在になっていきました。
看取れなかった最期──心に残る後悔
高山さんが旅立たれる1週間前。
ご本人にとって、きっととても辛い時期だったでしょう。
そんな大切なとき、私は別の施設へお手伝いに行くことになってしまい、高山さんの最期を看取ることができませんでした。
「どんな最期だったのだろう」
「寂しくなかったかしら」
「穏やかに過ごせていたのかな」
大きな後悔と切なさが、私の心に残りました。
再びやる気を失ってしまった私ですが、
高山さんが亡くなって1ヵ月ほど経った頃、夢を見ました。

若々しく、元気な高山さんが、優しい眼差しで微笑んでいる夢でした。
「落ち込んでいる場合じゃない!高山さんが見ててくれている」
そう思ったら、再び介護の仕事に向き合う力が湧いてきました。
介護の仕事に込める思い
高山さんと出会って、介護に対する私の考え方は、根本から変わりました。
それまでは、忙しさに追われて、体の介護をすることばかりで精一杯でした。
でも、高山さんとの出会いを経て、
「一人ひとりの方と向き合い、その人らしい最期を支える」という、介護の尊さを心から実感したんです。
介護は決して楽な仕事ではありません。
それでも、高山さんの言葉を胸に、今も仕事を続けています。
【次回予告】
介護の現場で心が折れそうになったとき、私の心を癒してくれた場所があります。
次回は、心の疲れをそっと温めてくれた、とっておきの場所についてお話ししたいと思います。
今日の縁側便り

7年前の今頃、高山さんは旅立たれました。
この時期になるたび、自然と高山さんのことを思い出します。
高山さん、いつもありがとう。
今日も、お話を聞いてくださって、ありがとうございます。
ばぁばちゃんは、いつも心の中のお店を、そっと開けています。
それではまた──。
温かいお茶を淹れて、お待ちしております。

おかえりなさい。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」から、そんな思い出を込めて。
今、好きなことを仕事にする生き方を未来型*夢の降る道で学んでいるんですよ。
まるで大人のための寺子屋みたいなイメージかな。
ここでは、「山ごもり仙人」と呼ばれる、面白くて個性豊かな竹川さんと、
私の閉ざされた心を少しずつ丁寧にほぐしてくれた千聖さんに出会うことができました。
なんだか、こっそり覗いてみたくなったでしょう?
