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「嫌な娘だ」と自責する私の胸の奥は、いつもドロドロしている

六畳一間の自室、カーテン越しの夜明け。 ばぁばちゃんの人生アルバム

実家に戻った娘の複雑な心境

年を重ねると、人生の選択肢が変わってきます。

私も62歳のとき、どうしても戻らざるを得ない場所――実家へ帰る決断をしました。

あれから二年。

今も母(84歳)と二人暮らしを続けています。

生活に余裕があれば、きっと戻らなかったでしょう。

でも、現実はそう甘くはありませんでした。

正直、心の中はいつも少しもやもやして疲れることもあります。

「嫌な娘だな」と思う日もあれば、母の小さな気遣いにほっとする日もあります。

今日のやり取り

言葉少なな朝の会話、でも確かな存在感

私:「おはよう」
母:「おはよう、あれ雨降ってる?」
私:「降ってるよ、雨の音聞こえるじゃない」

……短い沈黙が流れます。同じ屋根の下にいても、心の距離を感じる瞬間です。

母:「国勢調査、ギリギリは嫌だから、早めにやっといてよ」
私:「分かってる」

頼まれごとをこなしながらも、胸の奥には少しもやもやが積もります。

でも、この短いやり取りの中に、母と暮らす確かさを感じることもあるのです。

仕方なく選んだ帰郷

本当は一番頼りたくなかった場所――母のもと。

でも、どうしようもなく戻らざるを得ませんでした。

この歳になって「親の家」に戻るのは、情けなさや恥ずかしさも伴います。

それでも、生き延びるためには選ばざるを得なかったのです。

同じような思いをしている人も、きっと少なくないはずです。

「仲良くしなければ」と思う日々

穏やかな時間の裏に、心の揺れを抱えて

母はもう84歳。

あと何年、元気でいてくれるでしょうか。

「せめて仲良く過ごさなければ」と自分に言い聞かせても、うまくいかない日があります。

小さなことでぶつかることもあるし、昔の記憶がよみがえって胸が痛むことも。

「娘だから素直になれない」という複雑さは、親子なら誰もが抱えるものかもしれません。

葛藤の中の小さな救い

葛藤を抱えながらも、同じ屋根の下で過ごす毎日。

母の小さな笑顔、食卓での短いやり取り――沈黙の間に、互いの存在を感じることもあります。

きれいごとだけでは語れないけれど、切り離せない関係。

そのささやかな揺れの中に、ほんの少しの安心を見つけることもあるのです。

「どうしてだろう」と悩む夜

夜の静かな部屋の灯りと、メモ帳
一人きりの部屋で向き合う、幼い日の感情

今夜は少し落ち込んでいます。

夕食を終え、それぞれの部屋に戻る毎晩の暮らし。

食事以外は一緒にテレビを観ることもなく、自室に戻ると胸の奥がスッキリしません。

「どうしてだろう」と悩む。

幼いころから残る感情――

「もう許してもいいのでは」

「水に流してもいいのでは」

と思う一方で、母の一言ひとことに反応してしまう自分がいます。

本当は気が弱く、思いやりのない言葉を吐いてしまうこともあります。

だからきっと、お酒の力を借りて感情をぶつけてしまう夜もあるのでしょう。

今日の縁側便り

秋祭りの音が、遠い記憶と今をつなぐ

外から祭囃子が聞こえてきます。

来週は地域の秋祭り。きっと練習しているのでしょうね。

でも、私には関係ない世界。

窓を閉めても耳に届くその音が、遠い過去の自分と今の自分を同時に突きつけてくるようです。

私はこの場所が嫌いです。

これまでに十九回もの引っ越しをしてきました。

六十四歳になった今でも、「どこかに本当の居場所がある」と思えて仕方ありません。

八十四歳の母を置いて、なお「引っ越したい」と思う私。

きっと相当ひどい人間だと思われるでしょう。でも、これが私の本当の気持ちです。

それでも、いつかこの場所で、私なりの静かな居場所を見つけたい――そう願っています。

思いがけずの三連休、少しだけ心を解放して過ごしたいと思います。

今夜も、お話を聞いてくださってありがとうございます。

ばぁばちゃんは今日も心の中のお店をそっと開けて、
縁側でお茶を淹れてお待ちしています。

今、学んでいること

今は「好きなことを仕事にする生き方」を未来型*夢の降る道で学んでいます。

まるで大人のための寺子屋みたいな場所。

ここでは「山ごもり仙人」と呼ばれる竹川さんや、
私の心をやさしくほぐしてくれた千聖さんに出会うことができました。

よかったら、こっそり覗いてみてくださいね。

未来型*夢の降る道 好きな事を仕事にする生き方の紹介画像
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