「引っ越し第7号」から、またもや次の転機が訪れました。
主人との別れを決意した私と子供たちのお話はこちらからどうぞ👇
あの日、子どもたちの覚悟を聞いてから、私の心はもう、元には戻れませんでした。
このまま、あの家で息をひそめて暮らすのか。
それとも、親子三人で、新しい道を歩き出すのか。
そんな問いを胸に抱えながらも、
表向きは何ひとつ変わらない日々が、淡々と過ぎていきました。
当時、私たちが住んでいたのは「カナディアン住宅」と呼ばれる、ちょっと洒落た一軒家。
可愛らしい外観に惹かれ、私は一時期、奥様気分を楽しんでいました。
カントリー雑貨を手作りしたり、小さな庭でガーデニングに夢中になったり。
そんな風に心を遊ばせる日々の陰で、
私の中にあった思いは、日に日に強くなっていきました。
もう戻れない、戻らない

――子どもたちと、暮らしていけるように。
もう、やり直す気持ちはない。
この人とは、もう一緒に生きていけない――。
そう思っていたのに、子どもたちの未来まできちんと見据えていたかと聞かれれば、正直、自信はありません。
あの頃の私は、自分の気持ちを第一にしていた。
身勝手な母親だったかもしれません。
でも、動かなければ、何も変わらない。
そう思った私は、飲食店でアルバイトを始め、
少しずつ、ほんとうに少しずつ、離婚後の生活のために貯金を始めました。
覚悟を決めた決断

そして、覚悟を決めてから1年。
ついに私は、主人に離婚を切り出しました。
黙って話を聞いていた彼は、少し間を置いて言いました。
「いつかお前にそう言われる日が来ると思っていたよ」
その一言から、彼なりに思い悩んでいたことが伝わってきました。
けれど、私が離婚の話を持ち出したからといって、
彼の生活が急に変わることはありませんでした。
私のなかでは、もう決まっていたんです。
そして彼の中でも決まっていたのかもしれません。
「元に戻ることはない」
「戻ることはできない」と。
子どもたちと選んだ場所

少しずつ貯めたお金で、引っ越しの準備を進め、
主人には「〇日に引っ越します」とだけ伝えました。
そのとき、離婚届も手元に用意していました。
慰謝料や養育費についての申し出を書類に添え、公証役場へも足を運びました。
書類を見た主人は、ただ一言。
「本気なんだね……」
子どもたちの願いは、ただひとつ。
「学校の友だちと離れたくない」
私はその気持ちを尊重し、同じ学区内にある、2DKの小さなアパートを見つけました。
今住んでいるカナディアン住宅とは目と鼻の先で、正直、抵抗はありました。
子供たちがこの家に帰りたくなってしまうかもしれない。
不安でいっぱいでしたが、条件に合うアパートはココしかなかったのです。
両親の意に背いた結婚で、実家に戻るという選択肢は、最初からありませんでした。
静かな別れ

引っ越し前日になっても、主人は離婚届に署名をしてくれませんでした。
迎えた引っ越し当日の朝。
ダイニングテーブルの上には、印鑑が押された離婚届が置かれていました。
その朝、主人はいつもと同じように「行ってきます」と言って、会社へ向かいました。
「さよなら」も
「ありがとう」も
「元気でね」も――
お互いに、何ひとつ言葉を交わさないまま。
こうして、私たちは静かに、でも確かに、夫婦を終えたのです。

こうして母子家庭を選んだ私は、小さなアパートに「第8回目の引っ越し」をしました。
「別れ」は終わりじゃなく、「始まり」だった。
――今は、そう思えるようになりました。
今日の縁側便り

庭の紫陽花が、今年も見事に咲きそろいました。
どの株もそれぞれの色で季節を彩るなか、
ただ一株だけ、色づきも遅く、どこか曖昧なままの紫陽花がいます。
その佇まいに、ふと昔の自分を重ねていました。
思い悩みながらも、どうにか咲こうとしていたあの頃。
周りと比べては戸惑い、自分に自信が持てなかった若い日の私でした。
今日は、思い出の「引っ越し第8号」のお話を綴りました。

あの頃の私は、きっと必死で、でもどこか不器用で…
それでも前を向こうとした日々を、今は少しずつ言葉にできるようになってきました。
どこか曖昧なままの紫陽花が、
「それでも、ちゃんと咲いてたんだよ」と
そっと語りかけてくれたように感じました。
あのときの私に、少し優しくなれた朝でした。
【次回予告】
子どもたちと選んだ新しい暮らしについて、心の隙間を埋めるために借金を抱えた愚かな私について、綴っていきます。
どうぞ、今週もご自分をたいせつに。
温かい飲み物を片手に、ほっとひと息、ついてくださいね。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」にお立ち寄りくださってありがとうございます。
このブログが、あなたにとっても心の温まる居場所になれば嬉しいです。
また縁側でお待ちしていますね。

おかえりなさい。