年末。
寿司店を辞め、無職のままふさぎ込んでいた私。
しかし、娘や孫たちが遊びに来てくれて、穏やかなお正月を過ごすことができました。
そんな折、年が明けたばかりの寒い夜、一本の電話が入りました。
耳を疑うような知らせ――娘宅で思いもよらない事件が起きたのです。
前回の記事はこちらからお読みいただけます。

遠くなった笑い声
ある日突然起きた泥棒事件。
それは、私たち家族の距離が、少し遠くなる出来事でもありました。
従業員のために用意していた200万円が盗まれる

お正月を我が家で過ごしていた娘と孫たち。
その留守中に、何者かが娘宅へ侵入しました。
バールで玄関ドアをこじ開けられ、家の中を荒らされたのです。
娘宅には、従業員への年末ボーナスとして約200万円を保管していたのですが――
その現金が、そっくり盗まれてしまったのでした。
当時、娘の夫は自営業で複数の風俗店を経営していました。
「お母さん、しばらく泊まらせて」
事件以来、娘は家に帰るのが怖くなってしまいました。
2人の子どもを連れ、急きょ私の部屋に1か月ほど身を寄せることに。
泥棒が入った時、娘や孫たちは私の家にいて無事でした。
自宅で過ごしていたら、本当に怖い思いをしたかもしれない。
そんなことを考えただけでも恐ろしい出来事でした。
寿司店での理不尽な扱いを受け、落ち込んでいた私でしたが、
怯えた表情の娘や孫たちを目の前にして、
ふさぎ込んでいた私に、ハッと心が目覚めるような感覚が訪れました。
――私が落ち込んでいてはいけない。
――ふさぎ込んでいる場合じゃない。
この出来事が、そう思わせてくれたのです。
娘の夫への疑い

事件当時、娘の夫はアパートで仮眠をとっていたそうです。
泥棒の侵入にはまったく気づかなかったとのこと。
とはいえ、バールで玄関をこじ開けられるほどの音を、なぜ耳にしなかったのか。
ご近所の住民には聞こえなかったのだろうか。
しかも、これほどの事件でありながら
新聞にも載らず、警察の動きもほとんど見えませんでした。
確かに娘宅の玄関ドアには、激しい傷跡がありました。
――もしかして、狂言?
まさか!よね……
そんな考えがよぎってしまうほど、頭が混乱していました。
娘の夫を疑いたくはなかったけれど、胸の奥に引っかかるものがありました。
娘によれば、年末に夫が
「みんな頑張ってくれてるから、気持ちに応えたい」と言い、
200万円を小分けの袋に詰めて用意していたのだそうです。
私の心が歪んだ見方をしているのか――そう思おうとしましたが、
やはり何かがおかしい。
何故警察に通報しなかったのだろう。
防犯カメラだってあったはずなのに。
疑問は消えることがありませんでした。
店をたたむという決断

しばらくして、娘の夫がこう言いました。
「店をたたもうと思う」
理由は、マイナンバー制度の導入で、風俗店で働く女性の確保が難しくなるからだというのです。
マイナンバーで収入が可視化され、匿名で働きたい女性が減ると聞きました。
正直なところ、私にはこの制度がどのように影響するのか、よく分かりませんでした。
彼が運営していたのは、無店舗型の風俗店――いわゆるデリバリーヘルス。
地方や東京から短期で出稼ぎに来る女性が多く、人気のある子は一晩で十万円以上稼ぐこともあるといいます。
私はこの世界のことをほとんど知りません。
ただ一つ分かっていたのは、女性たちが身体を張って稼いだお金の上に、
娘や孫たちの暮らしが成り立っているという現実でした。
海外旅行や外食の多い暮らしぶりを見ながら、
「いつまでもこんな暮らしが続くはずがない」――
そんな不安を、心のどこかで抱えていました。
売上金を入金する役目
当時、私は無職でした。
そんな私に、娘の夫が「売上金を銀行に入金する手伝いをしてほしい」と頼んできたのです。
理由を聞くと、
「従業員を信用できない。売上を誤魔化されているように感じる」
とのことでした。
この仕事は、多い日には、一晩で何百万円ものお金が動く世界。
売上を誤魔化す抜け道はいくらでもあるらしく、
彼も多忙のため細かいチェックまではできていませんでした。
お金の管理を、各店舗の従業員に任せきりにしていたそうです。
信じたい気持ちはあったものの、
「やはりちょろまかされているのでは」という不信感は消えなかった。
だからこそ、
「お金のことは身内に頼みたい」と、私に声をかけたのだと思います。
娘の夫が私を頼ってくれたことに、少し嬉しさもありました。
でも同時に――これは危ない世界ではないか。
見知らぬ場所に足を踏み入れるような、背筋がぞっとする怖さも感じていました。
泥棒事件のその後

結局、この泥棒事件の真相は分からないまま。
警察が本格的に動くこともなく、娘の夫は“泣き寝入り”という形を取りました。
もちろん、従業員へのボーナスの支払いはなく、
その後まもなく店をたたむことになります。
「もう、すべての人間関係をリセットしたい」
「誰とも会わない土地へ引っ越したい」――
娘の夫のそんな言葉に、家族みんなの心は重く沈みました。
この頃、娘は三人目を出産したばかり。
1ヵ月検診を済ませた後、娘一家は住み慣れた地を離れ、県内の海辺の町へ引っ越していきました。
新しい道への第一歩
そもそも、この泥棒事件は何だったのか。
本当に侵入被害だったのか、それとも店をたたむためのカムフラージュだったのか。
真相は、今も分からないままです。
ただ、あの日の夜の底冷えするような寒さと、胸の奥に残ったざわめきだけは、
時が経っても消えることはありません。
あれから、気軽に会えていた娘家族との時間はぐっと減りました。
それでも、私は立ち止まってはいられません。
どんなに暗い状況でも、逃げるだけでは前に進めないということを、この出来事で改めて感じたのです。
娘や孫たちのために、私ができることは何か。
私が明るく元気に働く姿を見せる事が、何より娘の力になれる。
あの冬の日々から、私の人生はまた新しい一歩を踏み出す覚悟が生まれました。
そして、娘一家が引っ越した後、飲食店での経験を活かしたいと思い、介護施設で調理員として働き始めました。
【次回予告】
介護施設で働き始めた私を待っていたのは、初めて触れる介護の現場と、飲食店とはまた違った厳しい厨房の仕事。
そこで出会った人たちが、私の心に少しずつ変化をもたらしてくれました。
今日の縁側便り

夕方、台所の窓を開けた途端、むっとする湿気の向こうから土の匂いが漂ってきました。
遠くで雷がごろごろ鳴り、すぐに大粒の雨が庭をたたきます。
夕立のあとの空気は、少し冷たくて、どこか懐かしい匂いがします。
夏の盛りの中に、秋の気配がほんの少しだけ混じってきたような夕暮れでした。
いつも、お話を聞いてくださりありがとうございます。
心の中のお店を、ばぁばちゃんはいつも、そっと開けています。
それではまた――お茶をいれて、お待ちしております。

おかえりなさい。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」より
私は今、好きな事を仕事にする生き方を、未来型*夢の降る道で学んでいます。
大人のための寺子屋みたいなイメージです。
この場所では、山籠もり仙人と呼ばれる、おもしろくて個性豊かな竹川さんと、
私の暗く閉ざされた心を、少しづつ丁寧にほぐしてくださった千聖さんに出会う事ができます。
あなたもコッソリのぞいてみませんか?
