――幸せってなんだろう
堅実に見えた友と、波乱の道を歩いてきた私。
ふと立ち止まって、「幸せってなんだろう」と考える日があります。
まったく違う道を歩いてきたはずなのに、
今こうして振り返ると、
幸せは決して“外から見える姿”だけでは測れないのだと気づかされます。
答えはいつも同じところに戻ってくるのです。
友のこと、自分のこと、そして小さく温めてきた夢のこと。
今日は、そんな胸の中の想いを、ゆっくり綴ってみました。
良妻賢母と呼ばれた友の姿
――友を思うとき
私の友は、誰が見ても「堅実」という言葉が似合う女性でした。
家を建て、家族に囲まれ、家事も子育てもそつなくこなし、まさに“良妻賢母”。
私はその姿を、どこか眩しい気持ちで眺めていたものです。
「ちゃんと大人になった女の人」――そんな印象でした。

けれど、人生はいつだって、人の目には見えない深いところを抱えているのですね。
友は50代で肺気腫を患い、今は気管切開をして療養生活。
一生、病院で過ごすことになってしまいました。
病室の白い天井を見上げながら、友はどんなことを考えているのでしょうか。
洗濯物をたたんでいるときでも、湯のみを手にしているときでも、ふと思い出して胸がきゅっと痛くなるんです。
波乱万丈と言われ続けて
――自分の人生を見つめ直すとき
一方の私はというと…
振り返ると、なんとも波瀾万丈な道のりでした。
2度の離婚、カツカツの生活。
お金の心配はいつだって隣に座っていて、「余裕」という言葉は、私にはずっとありませんでした。
今も年金を繰り上げで受給しながら、派遣の介護士として働いています。
正直、楽ではありません。

でも、誰かの手を握り返したり、「ありがとう」と声をかけられたり、
そんな瞬間があるから、なんとか今日までやってこれました。
幸せって、どこにあるんだろう
幸せは、周りからの“見え方”じゃ測れない。
その人の胸の奥に、静かに宿るものなんだ。
家族の食卓にある笑い声かもしれない。
病室の窓から差し込む光かもしれない。
今日の仕事を無事に終えた夕方の空かもしれない。
そして、「まだ歩ける」と思えたその日の気持ちも、
たしかに幸せのひとかけらなのだと思います。
小さな夢を胸に、今日も前を向く
そんな私にも、ひとつだけ大切に温めている夢があります。
それは、この「ばぁばちゃんの台所カフェ」というブログを通して、
“こんな私でも夢を持って生きていいんだよ”
という気持ちを、そっと届けられたらいいなぁ、と思っています。
そしてもうひとつの夢は、ミンネで
ばぁばちゃんの手から生まれた作品を、一人でも多くの方に届けることです。

針を持つ時間は、私にとって小さな祈りの時間でもあります。
今の私は、過去の自分より少しだけ前を向けている。
私の暮らしは豪華でも華やかでもありません。
けれど、家の片隅でちくちくと手を動かしていると、
心の奥にぽっと灯る、あの小さなあかりのようなものがあります。
「誰かの生活の片隅に、この温かさが寄り添えたらいいな」
「手作りのぬくもりって、忙しい毎日の中で、ふっと心をほぐしてくれるよね」
そんな想いを込めて、今日も針を持ち、布に触れ、作品を生み出しています。
今日の縁側便り

堅実な人生を歩いた友も、波の多い私も、
きっとみんなそれぞれの場所で“幸せ”を探しているんだろうな、と思います。
人生はほんとうに、一人ひとり違う“ものがたり”。
どんな章も、どんなページも、その人だけの大切な歩みです。
私の幸せは、もしかしたら大きなものではないのかもしれません。
でも、ブログを書き続けることも、手作りを続けることも、
ミンネで作品を届けることも、
「まだ夢はここにあるよ」と教えてくれる大切な灯りです。
波が来ても、風が強くても、
「今日もここから」と縁側で深呼吸しながら、
また少しだけ前へ進んでみようと思います。
どうかあなたの今日にも、小さな灯りがともりますように。
今日も読んでくださって、ありがとうございます。
ばぁばちゃんは、いつでも縁側でお茶を淹れてお待ちしています。
今、学んでいること
以前、心にモヤモヤを抱えていた頃に、
空飛ぶ引きこもり小説家である、千聖さんの隠れ家カフェと出会いました。
何度かメールでやり取りをする中で、
千聖さんのあたたかい言葉に、どれだけ救われたことか…。
この出会いに大きな勇気をもらい、最近リアルでもお会いすることができ、大切な思い出が一つ一つ増えています。
今は「好きなことを仕事にする生き方」を未来型*夢の降る道で学んでいます。
まるで大人のための寺子屋みたいな場所。
ここで「山ごもり仙人」と呼ばれる竹川さんや、
私の心をやさしくほぐしてくれた千聖さんに出会うことができました。
よかったら、あなたもこっそり覗いてみてくださいね。


