夫との別れを経て、「8回目の引っ越し」。
そして、私たち親子三人の小さなアパートでの新しい日常が始まりました。
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第6話 8回目の引っ越しと子供たちとの新しい暮らし

職場と家との往復が当たり前の毎日。
初めは慌ただしく感じたその日常も、
やがてリズムができ、子供たちも新しい環境に慣れてきました。
そんな中、アルバイトではこの先の生活が不安になり、
思い切って工場の検査員として正社員になる決断をしました。
慣れない仕事に戸惑いながらも、残業や休日出勤にも積極的に応じました。
生活のため、そして子供たちのために
──その思いだけが私の背中を押していました。
カレーライスと豚汁、そして子供たちのまなざし

朝の慌ただしい時間に、出勤前の夕食作りが私の日課になっていました。
けれども子供たちは、温めればすぐに食べられるおかずにも手をつけず、
「お母さんが帰ってから一緒に食べたいから」
どんなに遅くなっても、黙って私の帰りを待っていてくれたのです。
ささやかな食卓は、毎回カレーライスか豚汁の繰り返し。
ウズラの串フライのトッピングが、時々のごちそうでした。
三人で囲むそのひとときは、
子供たちにとっても、私にとっても
唯一のコミュニケーションの時間だったのです。
その食卓は、忙しない日常の中で唯一、家族の心が繋がる場所でした。
ライブハウスの光と、泣き顔の息子

ある日、職場の同僚に「飲みに行かない?」と誘われました。
迷いながらも、仕事と家の往復ばかりの毎日で、
どこか物足りなさを感じていた私は、
気分転換のつもりでその誘いにのってしまいました。
華やかな夜の町。
ライブハウスでは音楽が鳴り響き、
日頃のストレスを忘れるように踊り、笑いました。
帰る時間を決めていたはずなのに、
楽しさが勝ってしまい、気がつけば帰宅は午前様。
静かに家に帰ると、小学六年生の息子が起きて待っていました。

「お母さん、遅くなるなら、せめて連絡してよ……俺、本当に心配したんだよ」
小さな肩を震わせながら、息子は涙をこらえて私に言いました。
その言葉は、心の奥に深く突き刺さり、しばらく動けなくなるほどでした。
『私、何してるんだろう』
心の中で誰かに問いかけるようでした。
でも、酔っていた私は、その切実な想いを
真っ直ぐに受け止めることができませんでした。
あの夜の光は、私が忘れかけていた“私自身”を思い出させたのかもしれません。
でもそれと同時に、“母としての私”が少しずつかすんでいくような気がして……
「たまには息抜きだって必要」
そう自分に言い訳をして、その後も何度か夜の街に出てしまったのです。
母であること、女であること──揺れる境界線

夜の町は、思いのほか魅力的でした。
音楽が流れるバー。
ネオンに照らされた人通りの多い道。
少し背伸びしたような会話。
単調な毎日を埋めるように、
家とはまるで別世界の夜の町に、私は次第に心を奪われていきました。
もちろん、頭のどこかにはいつも子供たちのことがありました。
けれど、
「少しくらい自分を甘やかしてもいいじゃない」
そんな気持ちが、自分の中のブレーキをゆっくりと、でも確実に外していきました。
そのうち、「もっとお洒落して出かけたい」という欲が顔を出しました。
少しでも若く見えるように、少しでも華やかに見えるように。
気づけば私は、服やアクセサリーを揃えるために、
ついに借金をしてしまったのです。
借金生活のはじまり
最初は一度だけのつもりでした。
けれど、クレジットカードはいつしか自分の財布のような感覚になり、キャッシングも、限度額いっぱいまでの買い物も、どんどん抵抗がなくなっていきました。
「気づいたら、どうしようもなくなっていた」
そんな言葉では片づけられないほど、
心のどこかで自分を責めながらも、
歯止めのきかない時期が、確かにありました。
「今月乗り切れば、来月返せる」
「このくらいなら、あとからなんとかなる」
そんなふうに思い込んで、ついには借金を重ねるようになったのです。

「どうしてこんなことに…」
ふと我に返ったとき、通帳の残高と明細の桁の違いに、目の前が暗くなりました。
日常のすき間に、夜の世界がするりと入り込みました。
母である自分と、女である自分。
その狭間で揺れながら、気がつけば私は、夜の楽しみを優先するようになっていきました。
【次回予告】
心の隙間にするりと夜の街が入り込み、借金を抱えた私。いくら残業を頑張っても、暮らしは楽ではありませんでした。督促の電話に怯え、心も暮らしも余裕がなかった日々を綴っていきます。
今日の縁側便り

夕暮れどき、縁側に腰かけてふと空を見上げると、少しだけ夏の気配が混じっていました。
庭のあじさいが日に日に色を深め、風鈴の音が心地よく耳に残ります。
あの頃、帰りが遅くなった私を
黙って待っていた子どもたちの後ろ姿が、ふと重なります。
あたたかな食卓、さりげない気遣い、何気ない日常の中に、大切なものが確かにあったのに。
なぜ私は、あの静かな幸せから目をそらしてしまったんだろう。
歯止めが利かなくなっていく自分を、どこかで見て見ぬふりをしていたあの頃。
今思えば、もっと違う道もあったのではと、胸の奥がきゅっと痛みます。
今日は、悔いと向き合う夕暮れ。
風の音に耳をすませながら、静かに心を整えています。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」にお立ち寄りくださってありがとうございます。
また縁側でお待ちしていますね。

おかえりなさい。