彼の肝細胞癌が再発したとき、私は勤め先の女将さんに休暇をお願いしました。
しかし、今回は二度目の休暇願。希望は叶いませんでした。
「彼の力になりたい」
その一心で、憧れていた仲居の仕事を辞め、転職を決意したのです。
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彼の肝細胞癌と私の決断

仲居の仕事をあきらめる
女将さんはこう言いました。
「あなたの気持ちはよく分かりますよ。
でも、今は繁忙期で人手も足りません。
わかりますよね?
しかも彼は家族ではないので、今回は長期休暇は認められません。」
理解は示してくれたものの、
一番の理由は「家族ではないから」ということでした。
やはり、ダメだったのです。
旅館には、もう未練はありませんでした。
けれども、面接の際に私を推薦し、「一緒に頑張りましょう」と言ってくれた仲居頭のお姉さんには、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
それでも「彼に付き添いたい」という思いが勝り、私は退職を申し出ました。
「もう、仕事なんてどうでもいい。
今はあの人の力になりたい、ただそれだけ」。
いい年をして、周りがまったく見えていませんでした。
退職前も病院への付き添いで欠勤することが多く、
給料が満額もらえる月はほとんどなく、生活は厳しいものでした。
貯金もなく、満足な食事も摂れない。
借りていた寮を出る期限はわずか2週間。
新しい住まいと仕事も探さなければならず、引っ越し費用もかかります。
その間の収入はゼロ。
完全に行き詰まった私は、
かつて債務整理をした経験を思い出しながらも、ある金融会社に問い合わせてみました。
すると、あっさり50万円の借り入れができました。
「当面の生活費と引っ越し費用は、これで大丈夫…。」
ほっとする一方、
昔の借金生活を思い出し、故郷の両親の顔が浮かび、悲しい気持ちで胸がいっぱいでした。
はじめてのウソ

手術当日。
「仕事は大丈夫なのか?よく休めたね」
彼の問いに、私は笑って答えました。
「普段のおこないがいいからよ(笑)。
女将さんのお母さんも癌だったみたいで、理解があったのよ。
だから私の仕事のことは心配しないで」
彼は手術前も冗談ばかりで、看護師さんたちをからかいながらVサインで手術に臨みました。
「いってらっしゃい」
仕事を辞めたことは言えません。
言ったら彼は怒るに決まっているし、付き添いも断られるに違いない。
私は初めて、彼に嘘をつきました。
彼の癌との付き合いはすでに4年。
平気な顔でおどける彼を見れば見るほど、私の心は沈んでいきます。
本当にあまのじゃくな人です。
辛いとか、きついとか…
弱音を吐いてくれた方が、どんなに気が楽だったでしょうに。
今回の手術も前回と同じラジオ波焼灼熱療法。
肝内の3㎝の癌を3個、凝固壊死させる手術です。
癌との戦いはまるでいたちごっこ。
やっつけても、やっつけても、また再発してしまいます。
Drからは「根治は難しいでしょうね」と告げられていました。
つとめて明るく振る舞う彼を見て、私の心はさらに沈みました。
退院と自宅療養
手術から1週間後の朝。
弾んだ声で「今朝は熱が下がってた。退院できるよ!」と、彼から電話が。
踊る気持ちを抑え、急いで病院へ迎えに行きました。
「もう二度とこんなところに来やしねえ」
彼は明るく笑い飛ばし、無事に退院しました。
車に乗り込み、開口一番、
「コンビニに寄ってくれ。ビールを飲みたいんだ」
止めたって聞く人じゃないので、仕方なく寄ることに。
大好きなビールを手にしましたが、何だか顔つきは冴えません。
「どうしたの?大丈夫?やっとお家に帰れるね」
彼は「うん」と言ったきり、遠くを見つめ無言です。
車を走らせる間も、かける言葉が見つかりませんでした。

マンションに着くと、さっそくビールとタバコ。
お気に入りのパジャマに着替え、ふ――っと一服。
ポン・ポンと指先で頬をたたき、器用に煙で輪っかを作る彼。
「なんか俺、前と違うな…」
「今度は本当にダメかもしれない」
そして、悲しい顔つきで抱きしめてくれました。
「ねぇ、カラダが熱いよ!熱があるんじゃない?」
熱を測ると、38.1℃に上がっていました。
処方された頓服を飲ませ、様子を見ます。
呼吸も少し荒く、苦しそうです。
「きっと強引に退院したんだわ」と思いました。
「ねぇ、救急車呼ぼうよ、心配!なんかあったら大変じゃない!」
「いいから!」
「いいから大丈夫だよ!!」
ソファにもたれ、しばらく静かに目を瞑っていました。
しばらくして、
「お前はもう帰りな。仕事たくさん休ませてごめんな。俺は大丈夫だから」
「こんなカラダで一人にしておけないよ。
私、仕事辞めたの。だからもうしばらく一緒にいる」
「おまえ、仕事辞めたのか?何で言わなかった?俺に黙って…」
今の彼に、私を叱る元気はありません。
翌朝まで、彼はずっと眠ったままでした。
新しい生活への一歩
熱が下がった三日目の朝。
「お前も仕事見つけなきゃね」
彼は私を心配してくれています。
本当は「一人になりたい」気持ちなのでしょう。
けれど、まだしばらくは自宅療養が必要。
仕事復帰は先のこと、本当は復帰できる見込みすらありません。
冷蔵庫に食料を詰め込み、後ろ髪を引かれる思いで私は自宅に戻りました。
看護助手としての挑戦

社宅を引き払う期限は、あと数日。
新しい職場も、早急に探さなければなりません。
私の中での検索キーワードは、
- 派遣会社
- 住み込み
- 50歳以上
- 医療関係
万が一、彼に何かあったときに、病院での仕事が役に立つのではないか。
派遣会社なら、融通もきくかもしれない——。
浅はかな考えかもしれませんが、この条件に一番近い職場を見つけました。
土肥から伊豆の国市へ住まいを移し、大学付属病院での看護助手の仕事です。
地元では滅多に見かけないドクターヘリが、日に何度も空を飛び交っていました。
伊豆半島は病院も少なく、私の住んでいた街とは景色も雰囲気も違います。
ドクターヘリはまるで救急車のように、あちこちを飛び回っていました。

新しい社宅は病院まで徒歩5分。
キッチンの窓からは、富士山がよく見えました。
富士山が見える日には、なんだか得した気分になります。
毎朝、「今日も無事に過ごせますように」と、
富士山に向かって小さく手を合わせ祈っていました。
傘雲がかかると、翌日は決まって雨。
天気の変化も、生活のリズムの一部のように感じられました。
バタバタと慌ただしい日々が続き、彼とのデートはもっぱら電話です。
お互いに一杯飲みながらの、リモート飲み会のような時間でした。
そんな日々が1ヵ月ほど経ち、私は病院勤務、彼は板前として復帰。
お互いの休みを合わせるのも、次第に難しくなっていきました。
会いたくてもすれ違い、距離を感じながら……
それでも、電話越しの声に、互いの存在を確かめるように支え合っていました。
【次回予告】仲居を辞め、大学付属病院で看護助手として働き始めましたが、慣れない病院勤めで、心もカラダもくたくたでした。彼の力になりたいと願っての転職だったのに、会える時間が徐々にへっていき、彼との関係に不安を抱えるようになっていきました……
今日の縁側便り
――ちょっと胸の重たい話のあとは、縁側でひと息つきたくなります。
今日は、お隣から梨をいただきました。
「冷やしておいたから、さぁどうぞ」

しゃきしゃきっとして、本当に瑞々しい。
ひと口で、心まで潤う気がします。
隣町の浜北は梨でちょっと有名。
季節の恵みって、ありがたいですね。
「はい、和紅茶もどうぞ」
ほんのり甘い香りが、梨のさっぱりした味わいにぴったりです。
縁側に座って、秋風を感じながらいただくと、また格別。
「あなたもひとつ、召し上がってくださいね」
いつも、お話を聞いてくださりありがとうございます。
心の中のお店を、ばぁばちゃんはいつも、そっと開けています。
それではまた――お茶をいれて、お待ちしております。

おかえりなさい。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」より
私は今、好きな事を仕事にする生き方を、未来型*夢の降る道で学んでいます。
大人のための寺子屋みたいなイメージです。
この場所では、山籠もり仙人と呼ばれる、おもしろくて個性豊かな竹川さんと、
私の暗く閉ざされた心を、少しづつ丁寧にほぐしてくださった千聖さんに出会う事ができます。
あなたもコッソリのぞいてみませんか?

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