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「お母さんみたいにはならない」なんて言われたね…娘と歩いてきた時間

ばぁばちゃんの人生アルバム

私はただ、すやすやと眠る小さな命を見つめていました。

「生まれてきてくれてありがとう」
そんな言葉が、自然と心の奥から湧き上がってきました。

面会時間を過ぎた静かな病室で、

小さな命の寝息を聞きながら、私はただそばに座っていました。

その小さな顔を見ていたら、

母になった娘の姿がとてもいとおしく思えて、涙がにじんだのを覚えています。

お金に追われ、朝から晩まで働いていた、あの慌ただしい日々。

それでも、あの夜は──心の底から穏やかな気持ちになれた、数少ないひとときでした。

前回の記事では、

「おばあさま」と呼ばれて戸惑った娘の出産の朝のこと、

そして職場の仲間たちの心強さについて綴りました。

まだお読みでない方は、よろしければこちらからどうぞ。

3人で暮らした、静かな実家の日々

初孫が生まれると知ってすぐ、

私は娘のために産後1ヵ月間、仕事を休みたいと思っていました。

けれど、上司にお願いしても休暇は叶わず、

それでも12時間拘束の勤務を、8時間に短縮する形で、なんとか了解を得ることができました。

「その分、お給料は引かれますけどね」
そう言われたとき、胸の奥がちくりと痛みました。

けれど、それでも──娘と孫のそばにいられることのほうが、ずっと嬉しかったのです。

孫の1ヵ月検診が終わるまで、私たちは実家で暮らすことにしました。

娘と孫が退院の日

会計を済ませに行った娘を待ちながら、

私は赤ちゃんを抱っこして病院のロビーに立っていました。

すると、見知らぬご年配の女性が近づいてきて、

「かわいい赤ちゃんねぇ。お母さんもこれから大変ね」と声をかけてくださいました。

(あれ? 私のこと、お母さんって…?いやいや、それはさすがに…でもまぁ…若く見えたってことにしておきましょ。)

と、心の中で密かにガッツポーズをしていた私。

こんな小さな喜びが、妙に心に残るんですよね。

その話を娘にすると、「え〜? そうかなぁ」と苦笑いされました。

そんな何気ない会話がとても嬉しくて。

これから過ごす一ヶ月が楽しみで仕方ありませんでした。

実家に一ヶ月お世話になるという選択

孫の1ヵ月検診が終わるまで、私と娘、そして初孫の三人で実家でお世話になることにしたのです。

この時ばかりは、ためらいながらも実家を頼ることにしました。

実は私と母との関係は、決して素直な関係ではありませんでした。

幼い頃に感じた心の痛みが、大人になった今でも尾を引いていました。

でも、ふと思いました。

私が娘を産んだとき、母はどんな気持ちだったのだろうか……。

母への戸惑いと向き合って

私が結婚したときも、両親は強く反対しました。

それでも押し切って結婚し、13年後には離婚という結果に。

さらに8年後には、職場の上司と再婚しましたが、

この結婚も長くは続きませんでした。

再婚相手は誠実で優しい人でしたが、私は彼を本気で愛していたわけではなかったのです。

母子家庭で生活も苦しくて、逃げ場がほしかったのかもしれません。

母はそんな私に「自分で決めたことだからしょうがないね」と一言。

再婚相手のことは気に入っていたようで、

「もったいないね、なんで離婚するの」と、ため息をつかれました。

きっと理解されないと思ったし、話す気も起きませんでした。

実家で始まった三人暮らし

そんなわけで、実家で肩身は狭かったけれど、それでも頼らざるを得ませんでした。

早く仕事を上がれるとはいえ、

私が帰宅するまでのあいだ、娘と孫を放っておくわけにはいきません。

母に、2人をお願いするしかなかったのです。

帰宅後は、娘と孫との時間が何よりの癒しでした。

沐浴や、夜中のおむつ替えも、ぐずる赤ちゃんを抱く時間も、すべてが幸せな記憶です。

あっという間に1ヵ月が過ぎ、無事に1ヵ月検診を迎えました。

孫はスクスクと育ち、娘の体調も順調そのもの。

そして娘はアパートに戻り、私も息子の待つ自宅へ帰ることになりました。

このときばかりは、心から両親に感謝しました。

当時68歳だった母からすればひ孫、

本当によく面倒を見てくれました。

また73歳の父はガラガラを手に、ひ孫のそばでにこにこしていた…

そんな姿が今でも忘れられない大切な思い出です。

休日は娘の家へ通う

当時の一番の楽しみは、休日に娘と孫の顔を見ること。

検診や予防接種、買い物まで、なんでも一緒に出かけていました。

娘は本当に育児に一生懸命で、毎日いろんなことを調べては、丁寧に子育てをしていました。

「本当によくやってるね。お母さん、感心しちゃう。私はそこまでできなかったなあ」

そんなふうに声をかけると、娘は少し照れたように笑っていました。

初めて聞いた、娘の本音

そんなある日。
娘が、ふとこんなことを言ったのです。

何がきっかけでこの話になったのかは覚えていません。

「私なら子どもを置いて遊びに行くなんてできないよ。私はお母さんみたいにならない。お母さんらしいお母さんになりたいの」

そう言われた瞬間、胸がきゅっとなりました。

…ああ、この子は、ちゃんと見ていたんだ。
そして、感じていたんだな──そう思いました。

あの頃。
子どもたちがまだ小学生だった頃。

私は一時、夜の街に心を奪われていた時期がありました。

当時の娘は何も言わなかったけれど、ずっと、心のどこかで引っかかっていたのかもしれません。

そのとき初めて、娘の本音を聞いた気がしました。

心の奥が、少し痛みました。

こうして親になった娘が、あの頃の私を振り返り、何かを感じていたこと。

それは、母としての私にとって、

ある意味「答え合わせ」のようでもありました。

私は少しずつ「ばぁばちゃん」になっていくのかもしれない。

初孫との出会いは、これからの日々を静かに変えていく。

そんなふうに、思い始めていました。

【次回予告】

初孫に出会い、少しだけ育児にも関わらせてもらえて、「ばぁばちゃん」としての喜びをかみしめていた私。

けれど、家族のかたちは、いつも同じではいられないようです。

次に私の前にやってきたのは、息子の旅立ちでした。

次回は、息子が家を出ることになった理由について、お話ししようと思います。

今日の縁側便り

蝉の初鳴きが、だんだんにぎやかになってきました。

夏の声が本格的に庭に降りてきたようです。

洗濯物を干していると、そばでオシロイバナが咲き始めているのに気づきました。

そのやわらかな香りに、いつかの夏の日が重なります。

娘が母になった、あの夏のこと。

娘がわが子を見つめるまなざしは、不思議と私の過去を照らしてくれるようでした。

季節がめぐるたび、心の景色も少しずつ変わっていくように思います。

今日も縁側で、心の風通しを忘れずに。

いつも、お話を聞いてくださりありがとうございます。

心の中のお店を、ばぁばちゃんはいつも、そっと開けています。

ではまた、お茶を淹れてお待ちしています。

おかえりなさい。

私が勇気をもらった千聖の隠れ家メルマガあなたも、こっそりのぞいてみませんか?よかったら、訪ねてみてくださいね。

「ばぁばちゃんの台所カフェ」より

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