先日、伯父の葬儀に参列したときのこと。
式が終わって帰る準備をしていたら、「あれ?お清め塩は?」と思ったんです。
これまでの葬儀では、会葬御礼の挨拶状とともにお清め塩が配られることが当たり前で、帰る前に体に振りかけるのが習慣でしたので、正直、最初はちょっと戸惑いました。
でも後から考えると、「そもそもお清め塩って何のためにあるんだろう?」と疑問に思ったんです。
気になって調べてみたら、最近はお清め塩を使わない葬儀も増えてきているらしく、決して珍しいことではないようでした。
そもそも、お清め塩って何?

お清め塩は、葬儀のあとに「穢れ(けがれ)」を祓うために使うものです。
これは神道の考え方に由来していて、死を「不浄なもの」として捉える文化から生まれた習慣だそうです。
なので、神道の影響を受けている地域や家庭では、今でもお清め塩を使うのが普通です。
でも、実は仏教では「死=穢れ」ではないと考える宗派もあります。
特に浄土真宗などでは、そもそもお清め塩を使わないらしいです。
そう考えると、伯父の葬儀でお清め塩がなかったのも納得がいきました。
お清め塩を使わない葬儀が増えている理由

最近は、葬儀の形もどんどん変わってきています。
お清め塩を使わないケースが増えているのには、いくつか理由があるようです。
1. 「死は穢れではない」という考え方が広まっている
仏教の一部の宗派では、「死は自然なもの」と捉えるので、お清め塩を使わないことが一般的です。
また、「死を汚いものと考えるのはちょっと違うのでは?」という意見も増えています。
2. 家族葬や直葬が増えている
最近は、身内だけで静かに見送る家族葬や、火葬のみを行う直葬が増えています。
こうしたシンプルな葬儀では、細かい儀式を省くことも多く、お清め塩もそのひとつとして使わないケースが増えているそうです。
3. 環境への配慮
お清め塩は、使い捨てのものがほとんどです。
これを避けるために、できるだけシンプルな形で葬儀を行う人も増えてきています。
お清め塩がないと、故人の霊がついてしまうのでは?

気になるのは、「お清め塩がないと、故人の霊がついてしまうのでは?」という話。
これは迷信みたいですよ。
宗教的な理由や、地域の習慣によるものなので、実際のところ「使わなかったから不幸になる」といったことはないようです。
じゃあ、「お清め塩を使わない場合、代わりに何かするのか?」といえば、特に決まりはないようですが、たとえば以下のような方法がありました。
- 手を洗う
- 静かに合掌する
- 一呼吸おいて、気持ちを落ち着かせる
要は、形式よりも「故人を思う気持ち」が大事なんですよね。
お清め塩で1つ思い出したこと

以前、塩を切らしてしまい、おにぎりにお清め塩を使ってしまった事があります。
身を清めるために使うものを食べてしまったので、罪の意識というか、何とも後味の悪いおにぎりの思い出です。
気になって調べたところ
お清めをするかどうかは自分自身で決めてかまいません。お清め塩を料理に使う事は問題ありません。
罪を犯してない事が分かりホッとしました。
ですが!
葬儀場でいただくお清めの塩は、ただの塩ではなく、塩が固まらないように乾燥材を混ぜてあることがほとんどだそうです。
後味の悪さは、乾燥材のせいだったかも?です・・・
なので、筆者のように間違っても食べないようにしてくださいね。
「お清め塩」の文化は、伝統から現代へ変遷しているのですね。
参列者が戸惑わないためには?

伯父のお香典返しにはお清め塩がついておらず代わりにこんなメモが入っていました。
とはいえ、葬儀に参列する人の中には、「え、お清め塩ないの?」と驚く人もいるかもしれません。
いざ自分が喪主になった場合、例えばですが、葬儀会場にこんな案内を出すのもひとつの方法ではないでしょうか。
本葬儀では、お清め塩のご用意はございません。ご了承ください。
事前に伝えておくとスムーズですし、これだけで参列者も「ああ、そういう方針なんだな」と納得してくれると思います。
まとめ

伯父の葬儀で初めて「お清め塩なし」の葬儀を経験して、最初は戸惑いました。
でも、調べてみると「別になくてもいいんだな」と納得できましたし、これからはこういう形が増えていくのかもしれないなと感じました。
賛否両論あるようですが、仏教では「清め塩」は排除の方向へ進んでいるとの事です。
大切なのは、形式にとらわれることではなく、故人をどう送りたいか、遺族や参列者が納得できる形にすること。
お清め塩を使う・使わないにこだわらず、自分たちにとって意味のある送り方を選ぶことが大事なんだと思います。
これから葬儀を考える人や、参列する機会がある人にとって、この話が少しでも役に立てば嬉しいです。

このサクラ並木は、伯父をはじめ地域の住民が大事に育て、管理していました。
筆者も子供たちを連れ、お花見を楽しんだ思い出があります。
今年もサクラの季節に訪れる予定ですが、サクラの陰からひょっこりと、伯父が顔を出しそうな気がしています。
