伊豆高原駅で出会った彼との交流が、
どのようにして新しい仕事のきっかけとなっていったのか──。
思いもよらない彼の病気が、その始まりでした。
夏の名残の強い日差しを浴びながら歩く駅前で、私たちの物語は静かに動き始めたのです。
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彼は、癌サバイバー
仲良くなるのに、そう時間はかかりませんでした。
3回目のデートで初めて彼の家に泊まった夜。
彼が眠っているときに、ふと目に入った大きな傷跡。
思わず声に出してしまいました。
『手術痕……?』
それは、肝細胞癌を患った時の手術跡でした。
肝臓を大きく切除する手術を受けたのだそうです。
「びっくりした? ごめん。隠してたわけじゃないんだ」
「2年前に肝切除をしたんだよ。肝臓ってすごいんだ。ほとんど取っても数週間で元に戻るんだから!」
にこにこしながらそう語る彼に、私は大きく心を奪われました。
「なんて強い人。もし私が逆の立場だったら」
きっと普通に笑って話せたか分かりません。
当時も投薬治療は続けていましたが、体調は安定し、板前としての仕事も順調でした。
定期健診で見つかった再発

「このまま幸せな時間が続けばいいな」
そう願ったのも束の間。
付き合い始めて1年が経った頃、定期健診で小さな癌がいくつか見つかりました。
治療は、肝臓の中にある腫瘍を焼き切るラジオ波焼灼熱療法。
肝細胞癌は再発しやすいと聞いていましたが、恐れていたことが現実になったのです。
私は彼に付き添うため、旅館の女将さんに無理をお願いし1週間の休暇をもらいました。
コロナ前の時代、身内でなくても付き添いが許された頃でした。
病院内で「要注意人物」になる

手術を終え、病室に戻った彼。
しばらくして麻酔から醒めると、ふらつく足取りで窓際に立ちました。
ところが、その手に握られていたのはタバコ。
思わず息をのんでしまいました。
「やめて!」と制止する私の声も届かず、震える指で火をつけていました。
――ジュッ。
網戸には真っ黒な焦げ跡。
看護師さんに厳しく注意され、止められなかった私まで一緒に「要注意人物」にされてしまいました。
その時、そばで見ていた助手さんが肩をすくめて「クスッ」と笑ってくれたのです。
厳しい空気の中で、その優しい笑顔にちょっぴり救われました。
その後も、彼は「病人らしさ」とは無縁でした。
病室を抜け出しては喫煙し、そして退院の日。
コンビニに寄り、真っ先に手に取ったのはビール。
ベルギーで暮らした経験から、彼にとってビールは生活の一部。
薬を飲んだ後にビールを手にする──そんな矛盾だらけの生活でした。
それでも一緒にいる時間は、笑いにあふれていました。
けれども、その幸せは長くは続かなかったのです。
根治が難しい肝細胞癌

手術から半年後。
また肝臓に小さな癌が見つかりました。
「くそっ、また再発か!」
「もう手術は受けねぇ。やぶ医者め!」
怒りと絶望。
私が必死に説得しても首を縦に振らず、娘さんの言葉にも耳を貸しません。
途方に暮れていた時、あの助手さんが声をかけてくれました。
「○○さん、こんにちは。お元気そうですね」
あの時と同じように、肩をすくめて「クスッ」と笑って立ち去っていったのです。
その瞬間、彼の心が少し動いたのを感じました。
長い沈黙が待合室を包みました。
そして小さな声で、彼はようやくこうつぶやいたのです。
『……しゃあねぇ、やるか』
またしても、あの助手さんに救われたのでした。
彼のために決めたこと

再び手術を受けることになり、また付き添いが必要です。
女将さんにそうそう休みをもらえるはずはない。
それでも私は、彼のために真剣に気持ちを伝えることを決めました。
大好きな彼を見守りたい。
後悔はしたくありませんでした。
次回は、彼の術後の様子と、憧れていた仲居の仕事を手放し、彼の役に立つと信じて選んだ転職についてお話しします。
今日の縁側便り

買い物の帰り道、残暑の陽射しがまだ強く照りつける午後。
ふと立ち止まって耳を澄ますと、かすかに秋の虫の声が聞こえてきました。
胸の奥に沈んでいた重たい気持ちに、その涼やかな音色がそっと風を通してくれたようで――
「大丈夫。きっとまた、笑える日が来る。」
そんなふうに思えた、縁側のひととき。
そばには、静かに咲く桔梗の花。
凛としたその姿が、私の歩んできた日々と重なって見えました。
季節は少しずつ、秋へと向かっています。
心にも、そっと優しい風が吹きますように。
いつも、お話を聞いてくださりありがとうございます。
心の中のお店を、ばぁばちゃんはいつも、そっと開けています。
それではまた――お茶をいれて、お待ちしております。

おかえりなさい。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」より
私は今、好きな事を仕事にする生き方を、未来型*夢の降る道で学んでいます。
大人のための寺子屋みたいなイメージです。
この場所では、山籠もり仙人と呼ばれる、おもしろくて個性豊かな竹川さんと、
私の暗く閉ざされた心を、少しづつ丁寧にほぐしてくださった千聖さんに出会う事ができます。
あなたもコッソリのぞいてみませんか?
