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送り火の翌朝、ふと父を思った|4年半という時間がくれたもの

人生アルバム

こんにちは。

今年のお盆も、父を迎え、そして送りました。

迎え火の日の夕暮れです。

迎え火の日は母と一番下の妹と三人で、送り火の日は母とすぐ下の妹と三人で。

家族全員が揃うことはありませんでしたが、それぞれの時間の中で「おかえり」「また来年ね」と父を迎え、送り出すことができました。

父が亡くなって、もう四年半。

「そんなに経ったんだなぁ」と、送り火の炎を見ながらしみじみ感じました。

初盆の頃とは違う気持ち

初盆の頃は、父のことを思い出しては涙が出ることもありました。

写真を見たり、父の好きだったものを目にしたりすると、「もういないんだ」と寂しさが込み上げてきたものです。

でも四年半が過ぎた今は、父を思い出すことはあっても、あの頃のように涙があふれることはほとんどなくなりました。

悲しみがなくなったというより、父との思い出が少しずつ心の中に落ち着いてきたのかもしれません。

今年は何も感じなかったお盆

実は私は昔から、時々「なんとなく気配を感じる」と思うことがあります。

毎年のお盆には、「ああ、お父さん帰ってきてるのかな」と思うような、不思議な感覚があることもありました。

ところが今年は、お盆の間ずっと何も感じませんでした。

「あれ?今年は何も感じないな。」

そんなふうに思いながら、送り火も終えました。

翌朝の、ふとしたひと言

ところが翌朝、不思議なことがありました。

朝、何気なくトイレに入ろうとした瞬間、頭の中でふっと、

「あれ?お父さん、トイレ入った?」

そんな言葉が自然に浮かんできたのです。

もちろん家には父はいません。

でも、その一瞬だけ、父がいつものように家の中で過ごしているような、とても懐かしい感覚になりました。

本当に父が帰ってきていたのか、それとも私の心が思い出しただけなのか、それは分かりません。

けれど、あの瞬間に父をとても近く感じたことだけは、確かでした。

時間がくれたもの

初盆の頃は、悲しみの中で父を思い出していました。

今は、涙ではなく、懐かしさと一緒に父を思い出しています。

時間は悲しみを消すものではないけれど、その形を少しずつ変えてくれるのかもしれません。

来年のお盆も、また「おかえり」と迎えて、「また来年ね」と送り出したいと思います。

そして何気ない日常の中で、またふと父を思い出す瞬間があったら、それも大切な時間として受け止めていきたいと思います。

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