PR

85歳の母と64歳の娘、仏壇のお茶で口げんか

ばぁばちゃんの暮らし
何も言わずに、置いてあったもの

「どっちでもいいよね」に、引っかかってしまった私

新年が明けて、
「今年は穏やかにいけそうかな」
そんなふうに思っていた矢先のことでした。

朝食をとっていると、
同居している母が仏壇からお茶を下げてきました。

お年賀でもらったお茶が二袋。

ひとつは「お年賀」と書かれたもの。

もうひとつは「ふくよ香」という名前で、
小さな金箔──笑福金が添えられていました
(この時は、まだ知りませんでしたが)。

母は言いました。

「あなたはどっちでもいいよね?」

そして次の瞬間、
「あ、こっちは笑福金がついてる!
 私、こっちもらうわ」

私に見せるでもなく、
考える間もなく、
さっと自分の分を決めてしまったのです。

ほんの些細なこと、なのに

中身の味は、きっと同じ。
たったそれだけのこと。

でも、なぜか胸の奥がカチンとしました。

「お母さんは、いつもそう。
 何でも一人で勝手に決めて、
 私に考える暇もくれない」

気がついたら、
声を荒げてそう言っていました。

「私だったら、子どもに選ばせるけどね!」

言わなくてもいい一言まで、
つい、口から出てしまいました。

イヤだったのは、お茶じゃない

私がイヤだったのは、
お茶の種類でも、金箔でもない。

「また、私の気持ちは後回し」
「私は、当たり前みたいに除外される」

そんな思いが、
一瞬でよみがえったのだと思います。

母は85歳。
私は64歳。

いい大人同士が、
こんな些細なことで言い争うなんて……

そう思うと、
自分が情けなくなりました。

「どうぞ」と言えなかった私

「どうぞ、好きな方を取って」

そう言えたら、
どんなに楽だったでしょう。

言えなかった自分を、
「なんて大人げない娘なんだろう」
「どうしようもないな」
そんなふうに責めました。

でも今は、
少しだけ思います。

あの一言は、
長い時間の中で溜まっていた
私の本音だったのかもしれない、と。

親子って、いくつになっても難しい

親子関係は、
年を重ねたら終わるものじゃないんですね。

「尊重してほしかった」

その気持ちは、
子どもでも、大人でも、
年老いても、消えないもの。

母も、私も、
それぞれの性格のまま
今日まで生きてきただけ。

ただ、少しぶつかっただけ。

夕方、勤め先から帰宅すると、
私のデスクの上に
朝の、あのお茶が二つ並んで置いてありました。

母は、
お茶のことについて何も言いませんでした。

金箔の入った包みは、すでに開けてあって、
一包だけ、お茶と一緒に入っていました。

金箔が何袋あったのか、
母がどれを選んだのか、
それも分かりません。

ただ、何も言わずに置かれていた二つのお茶を見て、
胸の奥が、少しだけ静かになりました。

言葉はなかったけれど、
それが母なりの、
精いっぱいのやり方だったのかもしれません。

今日の縁側便り

新年早々、
ちょっとした口げんかをしました。

でも、
自分の気持ちに気づけた朝でもありました。

言葉にできない気持ちは、
ときどき、
湯のみのそばに置いていくものですね。

次は、
深呼吸してから
「ちょっと見せてね」
そう言えたらいいな、と思います。

今日も読んでくださって、
ありがとうございます。


ばぁばちゃんは、今日も縁側でお茶を淹れています。

縁側のあとで、少しだけ

※ここからは、
ばぁばちゃんが今、大切にしている場所のお話です。

以前、心にモヤモヤを抱えていた頃に、

空飛ぶ引きこもり小説家である、千聖さんの隠れ家カフェと出会いました。

何度かメールでやり取りをする中で、

千聖さんのあたたかい言葉に、どれだけ救われたことか…。

この出会いに大きな勇気をもらい、最近リアルでもお会いすることができ、大切な思い出が一つ一つ増えています。

今は「好きなことを仕事にする生き方」を未来型*夢の降る道で学んでいます。

まるで大人のための寺子屋みたいな場所。

ここで「山ごもり竹川」という仙人みたいな方や、
私の心をやさしくほぐしてくれた千聖さんに出会うことができました。

よかったら、あなたもこっそり覗いてみてくださいね。

未来型*夢の降る道 好きな事を仕事にする生き方の紹介画像
心の灯りをともしてくれる学びの場所『未来型*夢の降る道』。ここで、新しい一歩を学んでいます。
minne「ばぁばちゃんの台所カフェ」紹介画像
ガーランドを中心に、北欧生地を使った小物を販売しています。ひとつひとつ丁寧に、手づくりのあたたかさをお届けできたら嬉しいです。
タイトルとURLをコピーしました