雨の日にシーツを洗う母の気持ちと、私のため息
おはようございます。
今朝も、しとしと雨。
洗面所に向かうと、洗濯カゴの中に、くったり重たくなったシーツが1枚。
「ああ、やっちゃったのね」と、ため息がこぼれる私。
ビショビショのシーツを手に取った瞬間、腕にも心にもズシンと重さがのしかかる。
(こんな日に、よりによって大物を……何で今日なの?)
天気予報では、この雨は少なくとも三日は続くというのに。
雨の朝に、母と私のいつものやりとりが静かに始まりました。
「お母さん、シーツ洗ったの?」
一瞬、言葉が喉につかえた。
じわじわと、諦めにも似たため息とイライラが込み上げてくる。
「お母さん… 今日、雨だよ」
そう言っても、母は平然とお茶をすすりながら、
「でも、なんだか今日洗いたくなったのよ」と、
まるでシーツを洗ったことすら忘れているようだった。
強く責める気持ちにはなれない。
はぁ。
と、また一つ深い溜息がこぼれた。
洗濯に適したタイミングなんて、きっと何も考えていない。
(なぜ、よりによって今日なの?)
静かに響く、エアコンの室外機の音

我が家は、昔ながらの洗濯スタイル。
外干しが基本だし、乾燥機も除湿器もない。
雨の日に頼れるのは、エアコンの「部屋干しモード」だけ。
仕方なく濡れたシーツを部屋いっぱいに広げ、スイッチを入れる。
数分後には、生温かいムワッとした熱気が、部屋にみるみる充満。
じっとしているだけで、汗がにじんでくる。
「暑い…無理…」
耐えきれず、私は自分の部屋へと逃げ込んだ。
(この蒸し暑さも、私の落ち着かないイライラした気持ちも、感じないの?)
リビングからは、母が楽しそうに見ているテレビの音が聞こえてくる。
「やる気のあるうちにやっておきたい」母の気持ちもわかるけど

後から、母が独り言のように呟いた。
「できる時に、やっておきたいのよ」。
その気持ちも、頭では理解できる。
いつまでも元気でいられるとは限らない、そう思っているのかもしれない。
それでも、その度に巻き込まれる私の身にもなってほしい。
蒸し風呂のような部屋で、ただひたすら乾くのを待つなんて、想像するだけで気が滅入る。
母は、いつもそうだ。
突然、思いもよらないことを、私の都合などお構いなしに始める。
そんな母の行動に、大らかな気持ちで接してあげられない自分が、時折、ひどく情けなくなる。
母と暮らすということは、こんなにも気力と体力が必要なことなのだろうか。
改めて、そう感じてしまう雨の日の朝だった。
今日の縁側便り

母の「やれるうちにやりたい」と、
私の「ちょっとは考えてよ…」がぶつかった、雨の朝。
テレビの音にかき消されそうな母の声を聞きながら、心の中で小さくため息。
でも、まぁこんな朝も、あとになれば「いつものことだったね」って笑えるのかもしれません。
雨がやんだら、小さなイライラも、少しはどこかへ行ってくれるかな。
室外機の音だけが静かに聞こえる。
ふと外を見ると、雨に濡れた茶畑が、深い緑になっていました。
今日も一日、のんびり、のんびり。はぁ。
お話を聞いてくださりありがとうございます。
これからも、季節の移り変わりや、日々の出来事、そして心温まるレシピなどを、ゆっくりと綴っていきたいと思っています。
どうぞ、お気軽に遊びに来てくださいな。
ではまた、お茶を淹れてお待ちしています。

おかえりなさい。