潮の香りと、父が焼いてくれた魚の匂い。
幼い私は、父の大きな背中にくっつき、大きな三角おにぎりをほおばりながら、磯遊びやハゼ釣りに連れて行ってもらった。
子煩悩で優しい父が私は大好きでした。

事あるごとに、影になり日向になり支えてくれていたやさしい父。
私が高3の春、父は職場の事故に巻き込まれ、左手の指4本を失いました。
せめてもの救いは、親指1本だけは無事だった事・・・
当時は、つぶれた指を再生する手術は行えず、腰骨の一部を切り取り、太ももの皮を剥ぎ、切り取った腰の骨に、はぎ取った皮を巻き付けました。
巻き付けた肉の棒が、失われた指の代わりに・・・
父は懸命に、神経の通わない義指を左手に受け入れ、7本の指になりました。

父:「あかねはこんな俺とでも一緒に歩いてくれるか?」
私:「もちろん!お父さん、何も変わらないよ。ずっと一緒にいるから、安心して」
6ヵ月かかり、無事に退院できましたが、しばらくは自宅療養が必要でした。
そんな時、部活でお腹が空く私のために、まん丸のおにぎりを持たせてくれたんです。

この事故を境に、父のおにぎりは三角から、まん丸へと変わりました。
7本の指では、三角のおにぎりは作れません。
父のゴツゴツとした、けれど温かい手で、愛情たっぷりに握られた大きなおにぎり。
不自由な手で、一生懸命たくさんの愛情を注いでくれました。
何十年も経った今でも、職場のお弁当には、必ず丸いおにぎりを持参します。
職場の仲間から「丸いおにぎりって珍しいね」と聞かれるたび、胸がキュっと締め付けらる思いがします。
父の愛情と犠牲が込められたこのおにぎりの意味を、どう説明すれば伝わるのだろう。
だから、「三角が苦手なんだ!」と答えています。
父の手によって形作られた丸いおにぎりは、私にとってただの食べ物ではなく、愛情と思い出の象徴なのです。
ゆっくりと写真の整理をしていたら、懐かしい写真を見つけました。

この写真は、私が幼稚園の頃、父とアサリを取りに行った時のもの。
左手があります・・・
父の背中にくっついて、バイクでよく出かけていました。
そんな父が亡くなって3年・・・
当時は泣いてばかりでした。
ようやく父の死を受け入れ、メソメソすることも少なくなりました。
お陰様で元気に暮らせています。
父の動画を開こうとするけれど、どうしても再生ボタンを押せない。
父の動画を開く勇気は、まだありません。
あの時の笑顔、声、優しさが鮮明によみがえり、まるで父が隣にいるように感じてしまうから。
通話記録に残る父の声も、まだ聴けていません。
亡くなった後の方が、今まで以上に強く、深く愛情を感じます。
もっといっぱい親孝行しとけば良かった!
もっといっぱい話をしたかったな。お父さん!
亡くなった当初、憔悴しきっていた母も、ずいぶんと強くなりました。
母は家族の歴史を刻むアルバムを、今までに2冊作っています。

現在84才の母です。
第3冊目は、今年いっぱいで完成させるようです。
母とはあまりいい関係が築けていませんが、父との思い出の詰まったこの家で、母との時間大切にしなければいけないな・・・と。
改めた感じたアルバム整理でした。
父との思い出を通し、ほんの少し和らいだ気がしています。

にほんブログ村
