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ばぁばちゃん、店長をやめました──娘の二度目の出産に立ち会いたくて

レースのカーテン越しの柔らかい光に揺れる窓辺のシュガーバイン ばぁばちゃんの人生アルバム

娘の出産と私の転機──“ばぁばちゃん”になるために手放したもの

金木犀の香りがほのかにただよう秋の午後。

息子の背中を見送ったのは、そんな季節の風が吹いていた頃でした。

前回は、ひとり暮らしを始めた息子の旅立ちを、

少し切なく、でも誇らしい気持ちで見送った日のことを綴りました。

あの秋の日、人生のひとつの節目を迎えたあの子の背中を見送りながら、私もまた、自分の中の小さな変化に気づき始めていたのです。

今回は、娘の妊娠、そして私自身に訪れた「静かな転機」についてお話ししますね。

*前回の記事はこちらからお読みいただけます。

息子が自立したそのあとに

揺れるレースのカーテン

「誰かに頼らず、自分の足で歩いていきたい」
そんな風に言った息子を見送った日、私の胸の中には、ほんの少しの寂しさと、たくさんの安堵がありました。

けれど――人生って、思いどおりにはいかないものですね。

ホッとしたのも束の間、私の心と体に変化の波が押し寄せてきたのです。

それは、更年期障害という、女性にしかわからない、

心と体がふわふわと不安定になるような、なんともいえない揺らぎでした。

女性にしかわからない、あの感じ

光と影の中の木製のイス

その頃の私は、51歳になったばかり。

「貧乏暇なし」なんて笑いながら、毎日せっせと働いていて、体力にはそこそこ自信もありました。

けれど、あんなに規則正しかった生理が、ある日を境に遅れたり、重くなったり、まばらになったり。

それが、更年期の始まりだったんですね。

なんとなく気持ちが沈んでしまったり、冬なのに顔がカーッと熱くなって汗びっしょりになったり……。

病院にも行かず、忙しさにまかせて毎日をやり過ごしていたら、いつのまにか心まで不安定になっていました。

更年期の体に、心ない言葉

当時、私は飲食店の店長として6年。

ほとんど休みも取らず、がむしゃらに働いていました。

系列店は15店舗あって、女性の店長は私ひとり。

だからこそ、「女性だから」と言われることも少なくなくて……。

「だから女はダメなんだよ」
「女の店長なんて、所詮、無理なんだよな……」

上司のそんな心ない言葉に、悔しさを飲み込む日々でした。

「もう、やめてしまえば楽になるかもしれない」
そんな思いがふと頭をよぎることもありました。

それでも、「まだやれる」と自分に言い聞かせて、必死で立っていました。

娘のお腹に、二つ目の命

妊婦さんと暖かな自然の風景

そんなある日、娘から「二人目ができたよ」と聞かされたのです。

初めての孫が生まれたとき、娘の旦那さんも間に合わず、

私は仕事の都合で立ち会うことができず、娘はひとりで出産に挑みました。

あのときの悔しさ……胸の奥に、ずっと引っかかっていました。

だからこそ、今度こそ、娘のそばにいたい。
今度こそ、出産に立ち会いたい。

けれど、今の仕事ではそれが叶わない。
長期の休みも、柔軟なシフトもない現実。

「このままじゃ、また間に合わないかもしれない」

そんな思いが、静かに、でも確かに、私の背中を押しました。

「ばぁば」としての、ひとつの決意

店長という立場は、私にとって誇りでした。

自分の力で築き上げたキャリアですから、手放すことにためらいがなかったと言えば嘘になります。

でも、それよりも大切なものができたのです。

娘のそばにいたい。
そして今度こそ、一緒に赤ちゃんを迎えたい。

私は悩みに悩んで、店長という肩書きを手放す決意をしました。

年の瀬にやってきた、4500gの赤ちゃん

新生児の赤ちゃんの手

二人目の孫は、市内の大学病院で年の瀬に生まれました。

なんと4500gを超えるビッグベビー!

先生もびっくりで、「今年いちばん大きな赤ちゃんですよ」とおっしゃいました。

娘は「お相撲さんみたいでしょ〜」って笑っていましたが、

彼女はもともと小柄で、出産直前でも体重は50kgに届いていませんでした。

そんな小さな体で、よくぞ自然分娩で産んだものだと、私は胸がいっぱいになりました。

「気絶しそうだったよ」と娘。

出血も多く、輸血をしながらの出産でしたが、母子ともに無事だったことが何よりでした。

そういえば、妊娠初期から娘は「肉が食べたい!」と、ステーキや焼肉ばかり食べていましたっけ(笑)

そのおかげで、ここまで大きく育ったのかもしれませんね。

新しい命の重みを腕に抱いたとき、
私の中の何かも、確かに変わった気がしました。

「ばぁばちゃん」、それが私の新しい名前

ハロウィン、大きなかぼちゃで遊ぶ2歳の女の子

出産直後の1ヶ月は、店を完全に休むことはできませんでした。

それでも仕事の合間をぬって、通いで娘の家を行き来して、家事や育児を手伝っていました。

当時、一人目の孫はもう2歳。
おしゃべりも上手になっていて、ちょっとおませな女の子でした。

赤ちゃん返りをすることもありましたが、私の顔を見るとニコニコと笑って、ぎゅっとハグしてくれました。

ある日、彼女は「ばぁばちゃーん!」と、駆け寄ってきたのです。

その声があまりに愛おしくて、(あぁ、これが私の新しい名前なんだ)って、胸がいっぱいになりました。

そしてこのブログの名前も、「ばぁばちゃんの台所カフェ」に。

そんな日々を思い出しながらうまれたんです。

【次回予告】

お店を辞めると決めた頃、常連さんの中に、寿司チェーンの部長さんがいました。
その方が私に「うちに来ないか」と声をかけてくださったのです。

思いがけないお誘いから、新たな転職先が見つかりました。
けれどその職場には、心が折れそうになる出来事が待っていました――。

今日の縁側便り

洗濯日和、朝の庭の物干し場の様子

濃い青空の下、今日も蝉の大合唱がにぎやかです。

風にゆれる洗濯物のそばで、ふと聞こえた「ばぁばちゃーん!」の声。

あの小さな声が、私の人生をまた一歩、やさしく前へと運んでくれました。

肩書きでも、地位でもない。
「誰かの名前になること」のほうが、ずっと重くて、ずっと温かい。

そんな気づきをくれた孫に、今日も心からありがとうを。

「ばぁばちゃーん」と駆け寄ってきた孫は、今では漫画家を目指して作品作りに没頭中。

そして、ビッグベビーだった二人目の孫は、スポーツが大好きで、部活の練習に汗を流しています。

「何が食べたい?」と聞くと、返ってくるのはいつも決まって「肉ー!」(笑)

娘のお腹にいるときからお肉ばかり食べていたので、きっと根っからの肉好きなんでしょうね。

さぞかし大きな男の子に育つかと思いきや、体格はわりと小柄。

肉よりも、娘のDNAが勝ったようです。

愛知県新城市、たてばカフェの和紅茶

窓の外からは、今日も蝉しぐれ。

陽ざしの強さに、洗濯物もすっかり乾いて、夏の匂いがしています。

いつも、お話を聞いてくださりありがとうございます。

心の中のお店を、ばぁばちゃんはいつも、そっと開けています。

それではまた――お茶をいれて、お待ちしております。

おかえりなさい。

私が勇気をもらった千聖の隠れ家メルマガあなたも、こっそりのぞいてみませんか?よかったら、訪ねてみてくださいね。

「ばぁばちゃんの台所カフェ」より

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