第一話・小さなせんべい屋から始まった私の旅路
こんにちは、ばぁばちゃんです。
わたしは今、63歳。
これまでの人生で、なんと19回も引っ越してきました。
自分でも「多いなぁ」と思いますが、
それぞれの引っ越しには、それぞれ理由があって、涙あり、笑いありの物語があります。
今日は、その始まり──8歳のときの最初の引っ越しから、お話させてください。
63歳のわたしがふりかえる原点
小さな田舎町のせんべい屋

わたしが育ったのは、三ケ日の小さな町。
両親は、そこで細々と手焼きせんべいの店を営んでいました。
毎日、醤油の香ばしい匂いがただよう中、
焼きたてのおせんべいを見ているのが大好きでした。
けれど、商売はうまくいきませんでした。
売り上げをなんとか生活費にまわしながらの、自転車操業。
しばらくして父は、店をたたむ決意をします。
父の再出発と、家族の旅立ち

父はサラリーマンとして働き始め、父の兄を頼って、家族で浜松に引っ越すことに。
お店を売ったお金──当時で100万円ほどを手にし、浜松の会社の社宅に住むことになりました。
子ども心に「新しい町って、なんだか広いなあ」と思った記憶が、今も心に残っています。
それが、私にとって「引っ越し第1号」でした。
父の勤め先は、その親戚の関係する会社でした。
社宅での暮らしは1年間。
その間、両親は父の兄を信用し、お金の管理をすべて任せていたようです。
そして1年後、小さな平屋の1軒家(2DK)を手に入れることができました。
ここで、「引っ越し第2号」です。
今思えば、両親にとっても、大きな賭けと決断だったのでしょう。
小さいながらも、楽しい我が家でした。
休日には、三ケ日の親戚からもらった「三ケ日石」を積んで、つつじ、沈丁花、ボケなどの花を植えて──。父と母は、ほんの少しの時間を楽しんでいました。

私は、台所の窓から、ふわっと風に揺れる矢車草を眺めるのが好きでした。
私はこの家で、思春期の入口を迎えます。
父と母は相変わらず働きづめでしたが、日々の暮らしは穏やかで、どこかあたたかい安心感がありました。
そして月日は流れ、高校を卒業し、私はやがてお嫁に行くことになります。
それが、私の「引っ越し第3号」──
けれど、新しい暮らしがすんなりといくわけではありませんでした。
新婚の夢と現実──団地からの夜逃げ事件

それから何度も引っ越しを繰り返すことになるのですが、
次に大きく生活が変わったのは、お嫁に行った後。
新婚生活はそううまくはいきませんでした。
当時の姑は、現役バリバリの看護師。
口うるさくて気が強く、私はいつも気を張っていました。
当然うまくいかず、夫とふたりで団地に移り住み「引っ越し第4号」となりました。
夫はあまり乗り気ではなかったけれど、私はふたりだけの時間を過ごしてみたかったのです。
最初は、ふたりだけの団地暮らしが楽しくて仕方ありませんでした。
でも──建物が古かったんです。
ある晩、寝室にまさかのゴキブリが……!
布団の中に入ってきたゴキブリに夫は大騒ぎ。
大の虫嫌いだったんです。
夫は夜中に逃げ出す始末。
それがきっかけで、私たちはまた夫の実家へ戻るはめになり「引っ越し第5号」となりました。

ちょうどその頃、私は妊娠。
夫の両親は、初孫の誕生に心から喜び、
可愛がってくれました。
それはとてもありがたいことでしたが──
お風呂に入れるのも、おむつを替えるのも、いつも姑。
夫はというと、自分の両親に任せっぱなしで、
私にはちょっと不満が残りました。
「夫婦で子育てしたかったな」──
そんな思いを、こっそり胸にしまっていた若い日の私がいます。
今日の縁側便り

こうして私の人生は、引っ越しとともに始まり、続いていきます。
あの三ケ日でのせんべい屋の香ばしい匂いは、今も私の原点です。
最初の引っ越しは、家族の生活を守るためのものでした。
その後の引っ越しは、夫婦の関係や子育て、仕事──
さまざまな事情とともに重ねられていきました。
人生は、いくつもの風景を積み重ねていく道。
一つ一つの場所に、思い出が詰まっていて、
引っ越し先でも、また新しい景色に出会える。
そんな風に思えるようになったのは、最近かもしれません。
【次回予告】
ゴキブリ騒動のその後──そして、はじめての子育て。
けれど、私にはある“心の葛藤”がありました。
これから少しずつ、「引っ越し19回の物語」を、回想しながら綴っていきたいと思います。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」にお立ち寄りくださってありがとうございます。
このブログが、あなたにとっても心の温まる居場所になれば嬉しいです。
また縁側でお待ちしていますね。

おかえりなさい。