PR

母が亡くなる夢を見て泣いた朝、私の中の小さな変化

初夏のやわらかな 光 母と娘

~心の奥に芽生えた想いと、素直になれない私の涙~

「ただの夢」だと思っていたはずが、
思いがけず心の奥深くにそっと触れてくることがあります。

それは、昨日の明け方のことでした。

あまりにもリアルで、静かな、でも確かに“母が亡くなった”夢

現実の私は、母との距離感に疲れ、ついきつく接してしまうことも多い日々。

けれど夢の中の私は、亡くなった母を前に泣いていました。

この夢が教えてくれたもの。
今ここに、心の整理として書き留めておこうと思います。

それでも、夢の中で泣いた私

うっすらした白いカーテン越しの朝日

夢の中で私は、真っ白な布団に静かに横たわる母を見つめていました。

かつらをかぶっていない、自然のままの髪の母。

顔ははっきり見えなかったのに、

「これは、亡くなった母だ」と、確信するほどのリアルさでした。

私はその場で泣いていました。
ただ、母の姿を見て、涙が止まらなかった。

夢は、その場面で終わりました。

胸の奥に残ったのは不思議な静けさと、少しのざらつき

現実の私と母との関係

昭和の台所

母と私は、同居して2年になります。
正直なところ、気持ちよく暮らせているとは言えません。

母は、私との距離がうまくとれず、気を使いすぎたり、急にきつい言葉を投げたり。

少し気難しい面もあり、こちらの気持ちを受け止めてもらえないこともしばしばです。

私はというと、過去の確執もあり、つい防衛線を張ってしまって、
「鬱陶しいな」「一緒にいると疲れるな」と思うことが増えていました。

心のしこりが邪魔をして、朝のあいさつすらそっけなく返してしまう日もありました。

なのに、夢の中の私は、泣きながら母の顔を確かめていました。

悲しみ? さびしさ? それとも、ごめんねという後悔?

夢から覚めて『ああ夢だった』とほっとしたのに、
気づけばまた、いつもの“素直じゃない私”に戻っていました。

でも、心のどこかで、何かが少しだけ変わったような気もしています。

夢の中で残っていた想い

朝霧の川面に写る山々

私は、母のことをどこかで「面倒な人」と思い込んでいたけれど、
あの夢の中の涙は、そんな私の中にも確かに“想い”が残っていることを教えてくれました。

優しくしてもらった記憶もあるし、笑い合った時間も確かにあった。

それらを思い出すことを、私はどこかで避けていたのかもしれません。

でも、「母のいない世界」を夢の中で体験してみたら──私は、あんなにも泣いていました。

それはきっと、母とのつながりを切りたくないという、心の叫びだったのだと思います。

夢というのは、時に心の奥を映し出す鏡なのかもしれません。

今日からの小さな一歩

夏空に流れる雲と電線

たとえ、こじれたままの関係でも、心のどこかに想いがあるのなら──、少しだけでも歩み寄ってみたい。

母との関係は、すぐに劇的には変わらないかもしれません。

でも、あの夢を見た私は、母の不在を悲しんでいた。

その事実を胸に、今日からはちょっとだけ素直になってみようと思います。

朝「おはよう」と言う声のトーンを変えてみるだけでも、小さな一歩。

「お母さん、ありがとう」、
そんな一言を、今すぐには言えなくても

ほんの少しの気づかいを向けられる自分になれたら、それでいい。


少しずつ、でも確かに、心の糸がほどけていくことを願って。

あの夢は、私にとって、心の扉が開きかけた「気づきの入り口」だったのかもしれません。

今日の縁側便り

雨あがりのヤマアジサイ

入梅の季節ですが、今日は晴れ間がのぞいて、庭の紫陽花がほっとしたように咲いています。

湿気の中にも、こんな静かな美しさがあるんですね。

どうか、あなたの一日もやさしく晴れますように。

お話を聞いてくださりありがとうございます。

このブログが、あなたにとっても心の温まる居場所になれば嬉しいです。

夕暮れの縁側で、麦茶でひと息ついて。

この「ばぁばちゃんの台所カフェ」は、

あなたが 「ちょっと疲れたな」「のんびりしたいな」 と思ったときに、ふと立ち寄れる場所でありたいと思っています。

実家の縁側に座って、お茶を飲みながらホッとするように。

これからも、季節の移り変わりや、日々の出来事、そして心温まるレシピなどを、ゆっくりと綴っていきたいと思っています。

どうぞ、これからも気軽に遊びに来てくださいな。

ではまた、お茶を淹れてお待ちしています。

おかえりなさい。

「ばぁばちゃんの台所カフェ」は千聖の隠れ家メルマガとの出会いから始まりました。よかったらのぞいてみてくださいね。
タイトルとURLをコピーしました