「桜ちゃん(私の娘)元気?」
「 日葵ちゃん(私の孫)は最近どうしてるの?」
ある日ふと、母がこんなLINEを送っていたことを知りました。
何気ないようでいて、私には少しだけ引っかかる出来事。
母は、私に何も言わずに、ふたりと直接やりとりしていたのです。
「日葵ちゃんがね、こんなこと言ってたのよ」と、
まるで自分が最初に知っていたかのように、私に語ってくるのです。
そのたびに、私の胸の奥が静かにざわめきます。
壊れやすいガラスのような日常

私の娘は、昨年、うつ病と自閉症と診断されました。
そして、孫は中学2年の頃から保健室登校が続き、この春、フリースクールへの進学を選びました。
ふたりとも、とても繊細で、外の世界との距離を計りながら生きています。
うつの時って、何をしてあげたらいいのか、ほんとにわからなくなりますよね。
私も最初は、「元気出してほしい」「何か言葉をかけたい」って思ってばかりでした。
でもね…
無理に明るくふるまうよりも、ただそばにいるだけでいいのかもしれない──
最近はそう思うようになりました。
「大丈夫?」とすぐに言いたくなる気持ちをぐっとこらえて、
今の私は、静かに見守ることを心がけています。
無理に励まさない。
こちらから動かず、あちらのサインを待つ──
そんな姿勢が、ふたりにとっての安心につながると思っているからです。
母のやさしさが、ときに強すぎると感じる

母は悪気なく、真っ直ぐにLINEを送ります。
「元気してる?」「最近どう?」
その言葉が、私にとってはどこか“踏み込みすぎ”に感じてしまうのです。
沈黙にも意味がある。
距離にも理由がある。
私がそっと築いてきた、ふたりとのちょうどよい距離感を、母のひと言が揺るがしてしまうことがあるのです。
「気にかけている」の形がちがうだけ

母にとっては、LINEで様子を聞くこともまた「愛情」の形。
「気にかけてるだけなのよ」と言うその姿は、私の知っている母らしさそのものです。
でも、私には私のやり方があります。
(それぞれに違っていいんだよね…とは思うけれど…)
今の娘や孫には、“静けさ”が必要だと私は感じているのです。
静けさの中に、ぬくもりを残したい──それが、私の願いです。
母に伝えること、私が変わること

私は母を責めたいわけではありません。
ただ、「少しだけ、見守りの距離を変えてほしい」と思うのです。
「娘も孫も、いまはとても敏感な時期なの。
私でさえ遠慮しながら接してるくらい。
何か気になることがあったら、まず私に話してもらえないかな。」
そう、静かに伝えてみようと思います。
(私も、まだ母の前では素直になりきれないけれど…)
今日の縁側便り

庭の片隅に咲いたカモミールが、風に揺れていました。
特別目立つわけでもないけれど、そこにいるだけで、心が和らぎます。
あの子たちにも、あのままでいてほしい。
私は今日も、お茶をいれるように、そっとそばにいることを選びます。

お店はないけれど、ここではお茶を淹れて、おしゃべりをして、時には思い出話をしたり、時にはおいしいレシピを紹介したり。
まるで実家に帰ってきたような、そんな気持ちになってもらえたら嬉しいです。
この「ばぁばちゃんの台所カフェ」は、あなたが 「ちょっと疲れたな」「のんびりしたいな」 と思ったときに、ふと立ち寄れる場所でありたいと思っています。
実家の縁側に座って、お茶を飲みながらホッとするように。
これからも、季節の移り変わりや、日々の出来事、そして心温まるレシピなどを、ゆっくりと綴っていきたいと思っています。
どうぞ、気軽に遊びに来てくださいな。
ではまた、お茶を淹れてお待ちしています。
読んでいただき、ありがとうございます。

おかえりなさい。