こんにちは。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」へようこそ。
今日はちょっとだけ、私の“変わったこだわり”についてお話させてください。
テーマは…ずばり「お風呂」です。
実は私、63歳で一人暮らし歴は四半世紀。
ところが、二年前から実の母と同居を始めて、生活の中でどうしても慣れないことが一つあります。
それが「家族と共有するお風呂」なんです。
「家の湯船が苦手」という感覚、少しだけ共感してもらえるかもしれません。
ひとり風呂の気楽さ vs 家族と分け合うお風呂

自由なお風呂時間の終わり
一人暮らしの頃は、お風呂の時間がまさに「私だけの時間」。
好きなタイミングで、誰にも気を使わずに入って、じっくり湯船に浸かっていました。
でも、同居が始まると…
「誰かが入った後」というだけで、なんだかソワソワ。
湯船に誰かの気配が残っているような、ちょっとしたゴミや髪の毛が浮いているような…
そんな些細なことが、ものすごく気になるようになってしまったんです。
銭湯は平気なのに家庭の風呂は無理?

「潔癖症?」と聞かれることもありますが、実はそうでもないんです。
むしろ私は、銭湯や温泉が大好き。
8歳までは内風呂がない暮らしで、銭湯通いでした。
広々とした湯船にたくさんの人が入っていても、まったく平気なんです。
なのに、家庭のお風呂には抵抗がある。
この不思議な感覚…自分でも説明できません。
なぜか気になってしまう“身近な人の痕跡”

親密さが引き起こす距離感のズレ
最近ふと気づいたのは、これは“親密さゆえの過敏さ”かもしれない、ということ。
家族という近い関係だからこそ、余計に相手の存在を強く感じてしまう。
知らない人ならスルーできることも、身近な人だと想像力が働いてしまって、落ち着かなくなるんですよね。
長年の一人暮らしで育てた「自分の空間」へのこだわりも影響しているのかもしれません。
お風呂は、私にとって心と体をほぐす“とっておきの場所”。
そこに誰かの痕跡を感じると、どうしてもリラックスしきれなくなるのです。
それが母だからなおさらなのです。
お風呂にまつわる“母ルール”との闘い

同居を始めてから、母には母の「お風呂の当たり前」があることを知りました。
母の清潔基準はプロ級!?
たとえば
「水滴を一切残さない」
「天井や窓枠の結露も見逃さない」など、かなり厳格なルールがあります。
実はこの“母ルール”、10年ほど前にお風呂場をリフォームしてから、より一層厳しくなったように思います。
というのも、私が独身時代に住んでいた実家のお風呂場の天井や壁はカビだらけで、とても不快な空間でした。
同居してまず驚いたのが、母のお風呂掃除への熱意。
まるでホテルの清掃スタッフのような徹底ぶりです。
「ここまでやる!?」と、最初は正直びっくり。
お風呂から出たあとは、まるで犯人の痕跡を消すように、タオル片手にシャカシャカ…
我が家だけの“お風呂現場検証”が始まるのです。
昔のお風呂事情から読み解く母の変化

でもふと、思い出しました。
私が若いころに住んでいた実家のお風呂場――
あの頃の天井や壁には、黒いカビが元気に育っていました。
換気扇もお飾りのような存在で、冬場なんて湯気で真っ白。
当時の母はお風呂場の手入れには無頓着で、「掃除する人」ではなかったんです。
そんな過去があるからこそ、今の母は「絶対にカビを生やさない!」が、強いのかもしれません。
リフォームしたきれいなお風呂を守るために、自分のルールでがんばっている姿は、ちょっとだけ健気でもあります。
とはいえ、その思いは理解できるものの…
疲れて帰ってきた夜に、「水滴ゼロでお願いね」と言われると、心がぽきん。
母の基準はちょっと高すぎる!
これも、世代による価値観の違いなのかもしれませんね。
もし、あなたも同じなら…
それはわがままじゃない

家族のお風呂が苦手なんて、変わってるのかな?
わがままなのかな?と、悩んだ時期もありました。
でも、ネットを見ていると、私と同じような悩みを抱えている人がけっこういると知って、少しほっとしました。
もしかしたら、あなたもそうですか?
家族だからこそ、気になること。
一番風呂じゃないと落ち着かない気持ち。
銭湯や温泉は平気なのに、家族のお風呂だけはちょっと…って思ってしまうその感覚。
それはきっと、おかしなことじゃないと思う。
もし同じような気持ちの方がいたら、ぜひ声を聞かせてください。
そして、もし上手に折り合いをつけている工夫があれば、教えてくださいね。
今日の縁側便り

近場の温泉に久しぶりに行ってきました。
湯けむりに包まれて、誰にも気を使わずに、ただぼーっとお湯に浸かる。
それだけで、心がすうっと軽くなっていくのを感じました。
温泉に行った帰り、つい母に温泉まんじゅうを買って帰りました。

家ではぶつかることもあるけれど、一緒にお茶を飲みながら「昔はこうだった」と話す母の顔はなんだか嬉しそうです。
湯けむりのように、心のわだかまりもふわっと消えていくといいなあ。
実はね、長年の心のわだかまりを消すために「心の中のお母さん、さようなら」って記事を書いたんです。
なかなか投稿する勇気がなくて下書きに入れたままの記事なんだけど・・・
やっぱり誰かに聞いて欲しいんです。
いつか、勇気を出して投稿しようと思っています。
どうぞ、これからも気軽に遊びに来てくださいね。
また、縁側でお会いできたら嬉しいです。
お茶を淹れてお待ちしています。
読んでいただき、ありがとうございます。

おかえりなさい。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」より