私には、心から帰りたいと思う町があります。
それは、幼い頃を過ごした小さな田舎町、三ケ日。
山も湖もすぐそばにある、自然に抱かれるようなこの町で、私は8歳まで育ちました。
両親と妹と、おにぎりを持って上った稲荷山。
そして夏の日には、タイヤチューブの浮き輪を使って、川の急流で遊んだ思い出もあります。

流れに身を任せて笑い転げたあの時間は、今でも胸の奥に、眩しい光となって残っています。
小さな商店街もにぎやかで、みんな顔見知りのような空気が流れていました。
畑で出会ったおばあちゃんに、「あんたはどこの子?」と声をかけられると、私は「おせんべい屋の子」と、ちょっと得意げに答えていました。
私の父は、母との結婚を機に、手焼きせんべいの店を開きました。
けれど、田舎町ではなかなか商売もうまくいかず、私が幼稚園の頃には会社員へと転職しました。

それでも、母が既製品の量り売りお菓子を仕入れて、細々と続け、私が8歳で町を離れるまで、小さなお菓子屋さんは変わらずそこにありました。
店には、ビスケットやキャラメル、アイスクリームなど、子どもたちが大好きな定番のお菓子がずらりと並んでいました。

糸を引っぱるとアメが取れるくじ引きや、箱のマスを破って中のお菓子を当てるゲームのようなものも置かれていて、私にとっては、まるで小さな宝箱のようなお店でした。
あの頃のにおいや、父と母の働く背中は、今も私の心のなかに残っています。
古民家カフェ「ココリン」で出会った、未来への地図

昨年、ふと思い立って訪れた三ケ日。
立ち寄った古民家カフェ「ココリン」は、手仕事のやさしさがあふれる、のんびりとした空間でした。
スタッフのみなさんの素朴で丁寧な接客、身体にやさしい食材を使ったごはんやおやつ。

その一つひとつが、慌ただしい日常で乾いていた私の心に、静かにしみこんできました。
そこで手にしたのが、「三ケ日お散歩日記」という手描きの地図。
あたたかいタッチで描かれた町並みを眺めているうちに、忘れていた気持ちが、胸いっぱいに広がっていったのです。
「ここに帰りたい」
「もう一度、この町で生きてみたい」
クローゼットの扉に、そっと飾った

持ち帰った地図を、私はクローゼットの扉に貼りました。
毎日、服を取り出すたびに目に入るその地図。
ふと目をやるたびに、心がやさしくほどけて、
「これからは、のんびり、ゆっくり、丁寧な暮らしをしていきたい」
そんな願いがふくらんでいきました。
でも――
同時に、心のどこかでは、こんな声も渦巻いています。
「いい年して、夢ばかり追ってんじゃないよ」
「そんなこと叶うわけがない」
「お金もないくせに」
現実的な不安や、自分を責めるような思い。
それは、決して小さなものではありません。
むしろ、夢を見ようとするたびに、重く、鋭く、私の心を揺さぶります。
それでも、小さな一歩を踏み出したい
先日、山籠もり仙人さんとのお茶会で「引き寄せのお話」を伺った時、
「もう一度、この町で生きてみたい」と夢中で話をする自分がいました。
そんな自分ごと、ぜんぶ引き受けて、私は小さな一歩を踏み出したいと思ったのです。
仙人さんは「いいじゃないですか!それやりましょうよ」と共感してくださいました。
「稲荷山にもう一度登りたい。」
子供たちや孫たちが、ふと帰りたくなるような、そんな実家のような場所を作りたい。
そんな未来を、胸の奥でそっと信じていたいのです。
たった一枚の地図。
クローゼットの扉に飾った、小さな夢の種。
それは、いまの私にとって、
「現実を直視しながらも、あきらめない」ための、大切な約束のようなものです。
今日もまた、地図にそっと目をやりながら、
私は未来への小さな一歩を、心に描いています。
今日の縁側便り

地図で未来を引き寄せる。
実際、仙人さんをはじめ、奥様やお仲間さんも、さまざまな素敵な未来を引き寄せておられます。
あなたはどんな未来を引き寄せたいですか?
今は妄想かもしれませんが、いつか現実になっていくと思うだけでワクワクします。

我が家の紫陽花のつぼみが目立ってきました。
入梅のお庭を彩ってくれそうですよ。
これからも、季節の移り変わりや、日々の出来事、そして心温まるレシピなどを、ゆっくりと綴っていきたいと思っています。
どうぞ、お気軽に遊びに来てくださいね。
ではまた、お茶を淹れてお待ちしています。

おかえりなさい。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」より