息子が私の手を離れていった日。
静かな午後、パタンと閉まるドアの音が、いつまでも耳に残っていました。
彼が一人で旅立っていく姿を見送ったあと、
私は初めて「親としての手放し方」が間違っていたのでは?と考えさせられる出来事が起こりました。
前回のお話はこちらからお読みいただけます。
“心配するな”としか言わなかった息子へ──それでも私はあなたを待っていた
「○○さんのお母さんですか?」
「はい、そうです。」
不法投棄で30万円の代償

ある日の午後、警察官が訪ねてきました。
あのときの夕暮れの色は、今でも忘れられません──。
その時、息子が不法投棄をしたことを知らされたのです。
(何で不法投棄なんか?)
息子が家を出るその瞬間まで、私はそばにいました。
ベッドや不要な家電は、便利屋さんが軽トラック1台分引き取ってくれました。
残った細々した物は、「俺があとでゴミ出しするから」と言って出ていったのです。
(ゴミ出しは息子がちゃんとしたはず)私はそう思っていました。
その日の様子を、事細かく警察官に聞かれ、包み隠さずお話をしました。
警察の話によると、自宅から少し離れた畑にゴミが捨てられていて、その中に息子の貯金通帳が入っていたようでした。
(なんでそんなばかなことをしたんだろう)
正しいゴミ出しの仕方は分かっていたはずなのに。
身勝手で非常識な息子に腹が立ったと同時に、自分の子育てに対する甘さを痛感しました。
息子は事情聴取を受け、私も後日警察に出向き、書類に判を押しました。
不法投棄の代償はとても大きく、30万程の罰金が科せられました。
警察署の待合室で、息子は終始うつむいたまま、小さく「すまん」とつぶやきました。
続けて、ぽつりと「迷惑かけて……すまん」と。
息子の顔を見れば、反省している様子がよく分かりました。
30万の罰金を払う余裕は、私と息子にはありません。
ここでもまた、私は借金で支払いました。
それが、母としての責任だと思いながら──。
音信不通だった1年間

不法投棄事件から1年間は、息子と会う事ができませんでした。
連絡をしても一方通行。
その後どう暮らしていたのか……
しばらくは想像もつきませんでした。
たまに返って来る返信は、「心配するな」とだけ。
(彼女と楽しく暮らしているのかな)
(ちゃんと食事は摂っているのだろうか)
そんな思いはあっても、
思い切って尋ねる勇気もありません、顔を見るのが怖かったのです。
私は会社と家の往復で、毎日クタクタでした。
休日に娘と孫の顔を見るのが唯一の癒しでした。
息子のことは片時も頭から離れる事はありませんでしたが、1年ほど会えませんでした。
何度連絡を入れても、やはり返ってくるのは「心配するな」のひと言だけ。
何か事情があるに違いない。話してほしい。
いつもそんな事ばかり考えていました。
一年ぶりの再会──生気を失った息子の姿
ある日、思い切って、メッセージを送りました。
「お母さん、寂しいよ。顔が見たい。1度、家に寄ってくれない?」
しばらく返事はありませんでした。
諦めかけた頃、ふっと突然、息子が家を訪ねてきたのです。
鳶職で日に焼けていた頃の面影はなく、
青白い顔に、生気のない目つき──
私は、動揺を隠せませんでした。
それでも、息子との再会は本当にうれしかったのです。
「俺、飼われてるようなもんなんだ」
息子の好きなコーヒーを心を込めて淹れました。
砂糖やミルクの分量には細かい息子。
「やっぱりお母さんのコーヒーが一番うまいよ」
少しずつ、心を解きほぐすように、息子が話し始めました。
「俺、今アイツに飼われてるようなもんなんだ」
「飼われてるって……?」
何を言っているのか、最初は意味がわかりませんでした。
よくよく聞いてみると、彼女はデリヘル嬢。
「私が稼いでくるから、○○君は家で好きなことをしてていいよ」と言われたのだそうです。
最初のうちは「こんな楽な暮らしはない」と、ゲーム三昧の毎日を楽しんでいたようでした。
でも、そんな日々がいつまでも続くわけがありません。
次第に、彼女の稼ぎで暮らすことに息子自身が苦しさを感じ始め、 それでも収入はなく、自分の存在意義すら見失いそうだったと語りました。
さらに彼女の束縛が徐々に強くなり、息子は息が詰まるような思いを抱えていたようです。
息子の目に映る現実と、母の思い

1年ぶりに会った息子は、生気を失い、青白くやつれていて──
どう見ても健康とは言えない姿でした。
私の知っている、あの元気だった息子とは、まるで別人のようでした。
「このままでいいの?」
「いいとは思っていないよ、本当はもう別れたい」
私は、何より「自分の生きたいように生きてほしい」と願っていました。
だからこそ、そのためにできることは、何でもするつもりだと伝えました。
息子は少し安心した顔で、帰って行きました。
「また顔を見せに寄ってね。必ずだよ」
そう言って息子を見送りました。
今度こそ本当の息子の一人立ちになると信じながら。
【次回予告】涙と回復の時間
そんな息子との再会をきっかけに、 少しずつ心の距離が縮まり、本来の自分を取り戻していった様子をお話ししようと思います。
息子なりに、自分の意思で立ち上がろうとしていたのだと思います。
今日の縁側便り

今日、ふと空を見上げると、一匹の赤とんぼがふわりと飛んでいました。
こんなに暑いのに……と思わずつぶやいてしまうほどの猛暑。
セミの声さえ、どこか元気がなくて、今年の夏はやっぱり少し違う気がします。
けれど、そんな中でも赤とんぼは、
静かに、でも確かに、私の目の前を横切っていきました。
季節はまだ動かないけれど、時はちゃんと流れているんだなぁと、
縁側に腰を下ろして、しばらくその背中を目で追いました。

いつも、お話を聞いてくださりありがとうございます。
心の中のお店を、ばぁばちゃんはいつも、そっと開けています。
ではまた、お茶を淹れてお待ちしています。
