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家を出た息子、音信不通の一年──生気を失った息子との再会

夏の夕暮れ、田舎の一本道 ばぁばちゃんの人生アルバム

息子が私の手を離れていった日。

静かな午後、パタンと閉まるドアの音が、いつまでも耳に残っていました。

彼が一人で旅立っていく姿を見送ったあと、

私は初めて「親としての手放し方」が間違っていたのでは?と考えさせられる出来事が起こりました。

前回のお話はこちらからお読みいただけます。

“心配するな”としか言わなかった息子へ──それでも私はあなたを待っていた

「○○さんのお母さんですか?」

「はい、そうです。」

不法投棄で30万円の代償

夏の夕暮れ、田舎道に沈む茜色の空と遠くに見える山影

ある日の午後、警察官が訪ねてきました。

あのときの夕暮れの色は、今でも忘れられません──。

その時、息子が不法投棄をしたことを知らされたのです。

(何で不法投棄なんか?)

息子が家を出るその瞬間まで、私はそばにいました。

ベッドや不要な家電は、便利屋さんが軽トラック1台分引き取ってくれました。

残った細々した物は、「俺があとでゴミ出しするから」と言って出ていったのです。

(ゴミ出しは息子がちゃんとしたはず)私はそう思っていました。

その日の様子を、事細かく警察官に聞かれ、包み隠さずお話をしました。

警察の話によると、自宅から少し離れた畑にゴミが捨てられていて、その中に息子の貯金通帳が入っていたようでした。

(なんでそんなばかなことをしたんだろう)

正しいゴミ出しの仕方は分かっていたはずなのに。

身勝手で非常識な息子に腹が立ったと同時に、自分の子育てに対する甘さを痛感しました。

息子は事情聴取を受け、私も後日警察に出向き、書類に判を押しました。

不法投棄の代償はとても大きく、30万程の罰金が科せられました。

警察署の待合室で、息子は終始うつむいたまま、小さく「すまん」とつぶやきました。

続けて、ぽつりと「迷惑かけて……すまん」と。

息子の顔を見れば、反省している様子がよく分かりました。

30万の罰金を払う余裕は、私と息子にはありません。

ここでもまた、私は借金で支払いました。

それが、母としての責任だと思いながら──。

音信不通だった1年間

あの日の夕暮れの赤とんぼ

不法投棄事件から1年間は、息子と会う事ができませんでした。

連絡をしても一方通行。

その後どう暮らしていたのか……

しばらくは想像もつきませんでした。

たまに返って来る返信は、「心配するな」とだけ。

(彼女と楽しく暮らしているのかな)

(ちゃんと食事は摂っているのだろうか)

そんな思いはあっても、

思い切って尋ねる勇気もありません、顔を見るのが怖かったのです。

私は会社と家の往復で、毎日クタクタでした。

休日に娘と孫の顔を見るのが唯一の癒しでした。

息子のことは片時も頭から離れる事はありませんでしたが、1年ほど会えませんでした。

何度連絡を入れても、やはり返ってくるのは「心配するな」のひと言だけ。

何か事情があるに違いない。話してほしい。

いつもそんな事ばかり考えていました。

一年ぶりの再会──生気を失った息子の姿

ある日、思い切って、メッセージを送りました。

「お母さん、寂しいよ。顔が見たい。1度、家に寄ってくれない?」

しばらく返事はありませんでした。

諦めかけた頃、ふっと突然、息子が家を訪ねてきたのです。

鳶職で日に焼けていた頃の面影はなく、

青白い顔に、生気のない目つき──

私は、動揺を隠せませんでした。

それでも、息子との再会は本当にうれしかったのです。

「俺、飼われてるようなもんなんだ」

息子の好きなコーヒーを心を込めて淹れました。

砂糖やミルクの分量には細かい息子。

「やっぱりお母さんのコーヒーが一番うまいよ」

少しずつ、心を解きほぐすように、息子が話し始めました。

「俺、今アイツに飼われてるようなもんなんだ」

「飼われてるって……?」

何を言っているのか、最初は意味がわかりませんでした。

よくよく聞いてみると、彼女はデリヘル嬢。

「私が稼いでくるから、○○君は家で好きなことをしてていいよ」と言われたのだそうです。

最初のうちは「こんな楽な暮らしはない」と、ゲーム三昧の毎日を楽しんでいたようでした。

でも、そんな日々がいつまでも続くわけがありません。

次第に、彼女の稼ぎで暮らすことに息子自身が苦しさを感じ始め、 それでも収入はなく、自分の存在意義すら見失いそうだったと語りました。

さらに彼女の束縛が徐々に強くなり、息子は息が詰まるような思いを抱えていたようです。

息子の目に映る現実と、母の思い

夏の夕暮れ、あかね空とクマゼミ

1年ぶりに会った息子は、生気を失い、青白くやつれていて──

どう見ても健康とは言えない姿でした。

私の知っている、あの元気だった息子とは、まるで別人のようでした。

「このままでいいの?」

「いいとは思っていないよ、本当はもう別れたい」

私は、何より「自分の生きたいように生きてほしい」と願っていました。

だからこそ、そのためにできることは、何でもするつもりだと伝えました。

息子は少し安心した顔で、帰って行きました。

「また顔を見せに寄ってね。必ずだよ」

そう言って息子を見送りました。

今度こそ本当の息子の一人立ちになると信じながら。

【次回予告】涙と回復の時間

そんな息子との再会をきっかけに、 少しずつ心の距離が縮まり、本来の自分を取り戻していった様子をお話ししようと思います。

息子なりに、自分の意思で立ち上がろうとしていたのだと思います。

今日の縁側便り

庭石にとまる赤とんぼ

今日、ふと空を見上げると、一匹の赤とんぼがふわりと飛んでいました。

こんなに暑いのに……と思わずつぶやいてしまうほどの猛暑。

セミの声さえ、どこか元気がなくて、今年の夏はやっぱり少し違う気がします。

けれど、そんな中でも赤とんぼは、
静かに、でも確かに、私の目の前を横切っていきました。

季節はまだ動かないけれど、時はちゃんと流れているんだなぁと、
縁側に腰を下ろして、しばらくその背中を目で追いました。

麦茶でもいかがですか?

いつも、お話を聞いてくださりありがとうございます。

心の中のお店を、ばぁばちゃんはいつも、そっと開けています。

ではまた、お茶を淹れてお待ちしています。

おかえりなさい。

私が勇気をもらった千聖の隠れ家メルマガあなたも、こっそりのぞいてみませんか?よかったら、訪ねてみてくださいね。

「ばぁばちゃんの台所カフェ」より

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