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たった1輪の彼岸花──母と私の“好きなもの”を供えたお彼岸

ばぁばちゃんの暮らし

お彼岸と聞くと、まず思い浮かぶのは“おはぎ”。

でも、今年の私たちはちょっと違いました。

朝、母とスーパーに行き、お会計が済んだ直後、

「あ!お父さんのおはぎ買うの忘れちゃった」と急に母が大慌て。

レジは混んでいるし、また列に並ぶのも大変で。

じゃあコンビニで……と二軒回ってみたのですが、見事に売り切れ。


「やっぱりお彼岸、甘いものは早い者勝ちね」と苦笑いしながら、

母は、あんこののった白玉団子を買いました。

私はシャインマスカットを仏前に供えることに。

結局、母も私も自分の食べたいものを供えた気がします。

でも、これも父への報告のひとつ。

「まあ、こういう日もあるよね」と、思わずクスッとしながら手を合わせました。

父は、甘党だったので

「これも悪くないな」と、そんな小さなハプニングにも笑っている気がします。

お彼岸とお盆──似ているけれど違うもの

スーパーの棚におはぎが並ぶと、「ああ、お彼岸だな」と感じます。

でも、夏の“お盆”とはどこが違うの?ふと思いました。

同じ先祖供養でも、実はちょっと意味が違うのだそう。

お盆は「ご先祖さまや亡き人が帰ってくる」夏の行事。

お彼岸は「こちらから彼岸へ手を合わせに行く」ような時期。

同じ“ご先祖さま”でも、行き来の方向が違うのですね。

そんなことを思うと、

先祖供養というより、自分の心を整える期間、と言った方がしっくりきます。

私は“お願い”よりも“報告”をする

お墓参りや仏壇の前に立つと、お願いごとをする人が多いと思います。

けれど私は、父に“報告”をするのが習慣です。

「お父さん、今日こんなことがあったよ」と

心の中で話しかけると、不思議と気持ちが落ち着きます。

母とぶつかってしまった時には、

父ならどう思うだろう、と問いかけることもあります。

そんな時、遺影の父の顔がいつもより曇って見えて、胸がチクりとします。

きっと私に“宿題”を出しているのでしょうね。

お墓参りで見つけたヒガンバナ

午後から、父の眠るお寺にお墓参りに行ってきました。

境内にはまだほとんど花が見えませんでしたが、

ひっそりと、1輪だけヒガンバナが咲いていました。

「お父さん」と声をかけると、

なんだか父もその赤い花を見て微笑んでいるように感じました。

猛暑の中でも、季節はちゃんと巡っているのだなあと、しみじみ思います。

お彼岸は、心の調整の時間

こうして父に報告しながら、母との関係や日々の暮らしを少しずつ整えていく──

お彼岸は、私にとってそんな時間です。

思いやりを忘れていないか

自分の言葉に刺がなかったか、

父に問いかけることで、心が少しずつやわらかくなっていきます。

今日の縁側便り

庭のヒガンバナはまだ顔を出していませんが、仏前には白玉団子とシャインマスカット。

甘い匂いと母の笑顔に包まれて、父にそっと報告しています。

「彼岸花はまだでも、心の赤い花は咲かせたいね」

そんな気持ちで過ごした、今日のお彼岸の一日でした。

今日もお話を聞いてくださってありがとうございます。

ばぁばちゃんは、心の中のお店をそっと開けて、お茶を淹れてお待ちしています。

おかえりなさい。

以前、心にモヤモヤを抱えていた頃に、千聖の隠れ家メルマガに出会ったんです。 温かい言葉に、どれだけ大きな勇気をもらったことか…。本当に救われました。

「ばぁばちゃんの台所カフェ」から、そんな思い出を込めて。

今、好きなことを仕事にする生き方を未来型*夢の降る道で学んでいます。

まるで大人のための寺子屋みたいなイメージか

ここでは、「山ごもり仙人」と呼ばれる、面白くて個性豊かな竹川さんと、

私の閉ざされた心を少しずつ丁寧にほぐしてくれた千聖さんに出会うことができました。

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過去の父との思い出エッセイ

大好きだった父が、亡くなる少し前にくれた最後の手紙。父との小さなやり取りに胸が熱くなりました。

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