津軽の餅ばあちゃんと、父がくれたおにぎり
今朝、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見ました。
舞台は津軽半島。ミサオさんと呼ばれる、地域に根ざし、一人で笹餅を作り続けるおばあちゃんの物語です。
物語の最後のインタビューで、人生とは?の問いに
「自分自身の気持ちの持ち方ではないのかな……それが人生ではないのかな」と。
「もう、写真撮るのやめなさいよ」と笑う、餅ばあちゃんの笑顔が印象的でした。
心を打たれたミサオさんの姿

その手仕事には、お母さんへの感謝の気持ちが、静かに、けれど確かに息づいていました。
93歳になってもなお、材料も笹の葉も自分で採り、年間5万個もの笹餅を、十本の指だけで生み出す。
亡き母を思いながら、日々の暮らしを慈しむ姿に、心の奥がじんと温かくなるのを感じました。
感動の奥にある“うらやましさ”
けれども同時に、私は少しうらやましくなりました。
ミサオさんが母を思いながら働く姿を見て、自分と比べずにはいられませんでした。
私は64歳になってもなお、子どもの頃に抱いた母への嫌悪感を手放せずにいます。
2年前から84歳の母と同居していますが、実家を“自分の家”と心から思えたことはなく、時々、居候のような気分になります。
自分の部屋はあっても、心のどこかで、いつも自分の居場所を探しているのです。
私にとっての“手仕事の味”

手仕事と言えるほどの腕はありませんが、人生の最後に食べたいものは決まっています。
おにぎりと、美味しいお茶。
それに、小豆たっぷりで甘さ控えめのお汁粉。
お汁粉は、亡き父が得意げに作ってくれた、私の大切な思い出のおやつです。
父は私が子どもの頃、どんぶりに山盛りのごはんで、大きなおにぎりを作ってくれました。
口いっぱいにほおばる私を見て、笑っていた父の顔が今も浮かびます。
でも、高校生のとき、父は会社の事故で指を失い、7本の指になってしまいました。
あの大きなおにぎりは、小さく丸いおむすびになりました。
それでも、父が握ってくれたおにぎりの温もりは、変わりませんでした。
私の中で“居場所”という言葉が浮かぶとき、必ずあの湯気のような記憶がよみがえります。
終の棲家の小さな夢

ミサオさんのように手仕事の技は持たないけれど、私にも小さな願いがあります。
それは、日本の原風景が残る美しい土地で、小さな終の棲家を持ち、
おにぎりとお汁粉を並べた膳を前に、温かいお茶をすする自分の姿。
そんな妄想をしては、ひとり笑ってしまいます。
でも、そう思うと少し心があたたかくなり、まだ見ぬ「居場所」がほんの少し近づいてくる気がするのです。
その妄想は、私にとっては心の奥の“安心”が形になった景色なのです。
居場所を探す旅の途中
ミサオさんの物語を見て、「私も母を温かく思える日が来たらいいな」と、ふと願っている自分に気づきました。
子どもの頃に抱えた感情は、簡単には消えません。
けれど、こうして誰かの生き方に心を動かされるのは、まだ希望が残っている証なのかもしれません。
私の人生は、ミサオさんとは違う色で描かれています。
同じ形にならなくても、自分なりの歩み方で、この“心の居場所探し”の旅を続けていこうと思います。
今日の縁側便り

連日の猛暑がようやく和らぎ、朝から霧雨が静かに降っています。
庭の葉っぱたちは、まるでシャワーを浴びたようにいきいき。
軒先で雨粒がぽつりぽつりと音を立てています。
こんな日は、温かいお茶を淹れて、ゆっくりおにぎりを握ってみたくなりました。

いつも、お話を聞いてくださりありがとうございます。
心の中のお店を、ばぁばちゃんはいつも、そっと開けています。
それではまた――お茶をいれて、お待ちしております。

おかえりなさい。
「ばぁばちゃんの台所カフェ」より
私は今、好きな事を仕事にする生き方を、未来型*夢の降る道で学んでいます。
大人のための寺子屋みたいなイメージです。
この場所では、山籠もり仙人と呼ばれる、おもしろくて個性豊かな竹川さんと、
私の暗く閉ざされた心を、少しづつ丁寧にほぐしてくださった千聖さんに出会う事ができます。
あなたもコッソリのぞいてみませんか?
